2010年2月13日土曜日

大学後期から社会人初期

仕事を始めると、忙しくて本が全く読めない、なんてことは全くなく、手当たり次第買いまくり読みまくりであった。かならず読む作家というくくりはなかったが、気になる作家というのは山のようにいた。

これはやはり本とジャズと酒に狂った叔父貴の影響が強い。月に2〜3回は叔父の家に遊びにいっていたが、その書庫には50年代から60年代にかけての潮流が静かに生き残っていた。その書庫は100万都市の郊外にあるただっぴろい畑のど真ん中に要塞のようなたたずまいで鎮座しており、過激派の隠れアジトといっても全く違和感ない存在をほこっていた。その書庫で20代のぼくが一番気になった作家や詩人はアラゴンブルトンといった前衛の人たち。「ナジャ」「通底器」なんていうハードカバーが埃をかぶってヘルダーリンの美装本と一緒に並んでいた。いっておくが当時はまだ国書刊行会などという書店はまだない時代である。いやあったかもしれないが、いわゆる国粋国書を扱っていた出版社に過ぎなかった、一方花田清輝全集が独特のオーラを放って、しかしほっぽり出してあった。なんとなく「お前手にとって読んでみろよ」と挑戦されているようだったな。その横にはハラハラ時計や黒田寛一の本というか雑文集が置いてあったが、こちらの方が手に取りやすかったが、これが読むに耐えないというか、晦渋といっておこう。天井近くの(裏部屋)コーナーには、膨大な量の新聞が、きちんと束ねて保管されていた。あまり目に触れて欲しくなさそうな風情だったが、その名前は「前進」といい。かつての中核派の機関紙だった。そんなものを取っておいてもしょうがないだろうに・・・という時代にすでになっていたが、まあボクなどには入る余地のない世界が叔父貴にはあったのであろう。

「逆のコーナーには塚本邦雄の詩集が何冊も何冊も置いてあるのだが、そのころの叔父貴は塚本邦雄に相当入れ込んでいたようだ。安保や左翼運動は過去の残滓として、コンテンポラリーには「詩」と「酒」と「ジャズ」しか叔父には残っていなかった。その叔父も既に亡くなって久しいが、アジトのような要塞は今に至るも現存する。蔦の多い繁るジャングルのようになっているのをこのあいだ再発見した。最後におとずれてから、もう20年にはなるはずだ。懐かしさ以上のものを感じた。時代が取り残されている場所があの要塞なのだ。

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