2011年1月10日月曜日

2011年を迎えて

2011年を迎えても去年までのように文章を一ひねりする気分にならないのは、アカデミズムから本格的に離脱し始めていることの兆候なのか?それとも単なる気分の問題なのかわからない。

この年になっても勉強することは山のようにあるとの思いは変わらないし、日々実感される、そんな外来であり病棟に小生はいる。

さて、1人主治医で患者を持つようになって4年になるが、胃が痛くなるような病態・環境・状況を抱えたヒトがいつも必ずいる。いつも思うことは、主治医の自分が前に進めないと、物事は解決しないということと、動けば必ず事態は良い方向に向かっていくということである。この年になって実感するのもおかしな話だが、あれこれ考えるのは良くないということだ。見定めたら、あとはできるだけ早く飛べということだな。年をとることのメリットは助けてくれる、相談に乗ってくれる仲間がいつのまにか増えていると言うことだろう。ありがたい話である。

年頭にあたって特に言うことでもないが、今年も逃げずに頑張ろう。なんでも首を突っ込むほどの余力はないが、すれ違っただけの知り合いでも、何かの縁だと思いたい。どんな人でも縁がある限りは診よう。最善手が再紹介であっても良いではないか。自分の持ちカードを増やすことは幾つになっても大事だ。自分から寄っていかないと経験は増えないぞ。

学会について:なるほど一年以上学会に御無沙汰した上で、久しぶりに学会に出てみると面白いことも多い。ついて行けないほど学問は進歩しないだろうと思っていたが、これは悪い意味で裏切られなかったがね。願わくはもっと革命的に進歩してくれていたらもっと面白かったのに。

しかし、なんだろう、なんだかややこしいご時世にはなっているのだね。なんでもかんでも診療指針というのが出来ていて、これに則った治療が求められる風潮はますます強くなっている。エビデンスとやらが巾をますます効かせているわけだ。化学療法でエビデンスを前面に出して標準治療をどこでも誰でも受けられるようになったのは良い。むちゃくちゃ金がかかるがね。でもその後が問題だな。エビデンスがある治療なんて数が知れているのである。大抵の治療法はやられた後の患者殿がこまるのではないか? 「もう治療がありません」としか言えない医者が急増しているのではないかと想像する。だってそれ以外の「あやしい」治療を彼らはやったことがないからね。そうするといわゆる「癌難民」と呼ばれる人々が生ずる。かれらの相談に乗れる医療施設が減ってきているのではないかと危惧するものである。大学や基幹病院との付き合いの中で、そのような風潮を感じさせるこの1〜2年であった。

かつてボクのいた病院では癌であれば初診から最後まで全て診ていたので(中には20年以上の付き合いになった患者殿もいるわけだ)、標準治療もも怪しいこともなんでもやっていた。(怪しいといっても第三相試験までには至らない治験レベルの治療であったわけで、それなりに学問的根拠はあるのである。今世の中で言うエビデンスが無いだけだ。誤解無きよう願いたい。)癌治療の5年後がいまより数段進歩していることが予想できるなら、我慢もしよう。でもどうだろう。なかなか難しいような気もする。

病院とつながりを断たれずに治療を変わらず受ける患者・・・というイメージは今後なかなか難しくなりつつなろう。患者はあくまでも治療を受けたいのである。「もう貴方への標準治療は無くなりました」といって放り出されたくないのである。問題なのは医療経済学がますます伸してきていることである。エビデンスのない、非標準治療と見なされる可能性のある治療は保険診療として通らなくなる事例がますます増えてきそうだということである。医者はそちらサイドからの横やりには極めて弱い。レセプトに瑕疵の多い医者というのは、どう考えても病院経営サイドが嫌いそうである。

なんの話だろう?  まとまりのない愚痴になりそうだから、年頭の所感など書きたくないと今年は思ったのか?でも、書いてしまった(笑)。

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