2013年3月30日土曜日

聞いた落語が300を越えたよ・・

昨年年末に落語が200を越えたと書いて以来、朝夕の通勤時に聴く落語は順調に増え続け新学期を前に300を越えた。
小生が保有している演目は現在329演目であるが、 昨日聞いた圓生の「一文惜しみ」で300の大台に到達した。昨年6月に落語を聴きだしてから、まあ飽きずに続いていることである。聞いても聞いてもまだまだ未聴の落語は多いのだ。329の中、そして聞いた300の中には重なっているものもさすがに増えて来た。最も多いのは「大山詣り」と「妾馬」の5演者。この演目は好きなので。


演者別の聴いた演目数
  1.  圓生   67 
  2. 志ん朝  40 
  3. 小さん  22 
  4. 談志   17 
  5. 圓楽   16 
  6. 志ん生  14 
  7. 金馬   14 
  8. 米朝   13 
  9. 小三治  12 
  10. 文珍   10 
  11. 志の輔  8
    合計   233 
圓生は生涯で遺したCDがとにかく多いので、聴いたことの無い演目を探そうというと自然、圓生に頼ることが多い。「乳房榎」だとか「真景塁ヶ淵」の全編だとか奇談・怪談は圓生が多い。もちろんオーソドックスな古典はすべてそろっているしね。67編といっても、まだまだ図書館には在庫が眠っているのだ。 聴けば聴くほど「圓生」ってどうしようもないスケベ親爺、とんでもないすれっからしに思えるが、そこがいとおしいぞ。

志ん朝については、街のCD屋さんでの新規開発は難しくなって来た。 もっともっと音源があればと思う。

嫌いなつもりの談志であるが、なぜか17編も聴いている。なぜ嫌いかというと、いうことがいちいちとんがっているからで、たとえば「人情話」が嫌いだとか、「出世物」が嫌いだとか、いちいちうるさいからだ。しかし、この人は話によってはばらぼうにうまいと思う。困った御仁である。

米朝は好きな噺家である。米朝の落語シリーズは、さすがに関東組とは違って、演目が一風違っている。「百年目」など、ボクは最初は志ん朝でとりこになった話だが、これが米朝だと更に味がある。早い段階で好きになった「算段の平兵衛」も好きな噺。

最近はまっている「鼠穴」。聴いててこんなひどい噺があるかという落語は数多くある。先味も後味もひどい落語の筆頭は「帯久」であり、この「鼠穴」も随分だ。随分だが、これでも風雪を耐え生き残っている噺である。なぜ、滅びなかったんだろう。とにかくひどい噺だ。救われない噺ではないか。いやになるが、でも複数の演者で聴きたくなる。

廓噺は好きだ。「文違い」なんかしゃれている。「紺屋高尾」 「松葉屋瀬川」も悪くない。「品川心中」は痛快あっぱれだ。「居残り左平次」はフランキー堺の「幕末太陽伝」を先に見ていただけに、これは映画の方が好きだ。同じ廓の噺でも「お直し」は凄まじい。こんなんありか。パゾリーニの世界だな。

演目は少ないが、最近めっぽう好きなのが「春風亭柳喬」である。この人の語る「江戸言葉」が好きなんだ。「天災」という噺自体はどってことのない噺なんだが、聴いているとうっとりするよ。ビートたけしがテレビでよく江戸言葉をしゃべっているが、あれボクには古今亭志ん生のだみ声に似せているような気がしてならず、あまり好きではないが、柳喬の江戸言葉はいい。

さて、どこまで続く落語の深みだろう・・・・

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