2013年6月29日土曜日

とき偶に・・・伊東静雄

とき偶に・・・というのは「ときたまに」でありときどき、たまたまである。好きな詩人である伊東静雄に「晴れた日に」という一節があり、この「とき偶に」という始まりがとても好きだ。今朝はふと思い出したので書いてみたが、どんな詩だっただろう?

 いかにも、背伸び盛りの高校生(当時の小生)が好む風情だが、実は年齢を重ねても(今の小生)それなりに味わいは衰えないのだ。

この詩にこんな↓解説をした方がいる。書き抜いてみよう。


・・・・上の詩「ある晴れた日に」には、いくつのも”思いの断片”が一見バラバラに散りばめられています。読んでいる途中は、書き手(詩人)が何を言いたいのかハッキリしません。

しかし、「読後」に、”思いの断片と断片が読み手の心の中で結びついてある種のイメージ(全体像)”を醸し出し、異様な感動を覚えます。
 
人生とは、こういうものだ........ という象徴的な詩です。

昔、遭遇した事柄や誰かの言った言葉が、わけもなく忘れがたく心に残っていたが、後になってその意味(理由)が分かった、という体験は誰でもお持ちでしょう。分かった、いうのは点と点、思いの断片と断片が心の中で統合されて像をなした、といえます。  英語では時に「connecting the dots」と表現されます。・・・・・
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ここで話はいきなりスティーブ・ジョブズのあの有名なスタンフォード卒業式祝辞に飛ぶのである。このような「自由飛翔」が好きだ。で、小生はなにがいいたいのか。

Steven Jobs 

「connecting the dots」である。この連語の背景が知りたかった。これだけ引用すれば、この言葉のイメージが充分つかめる。

今日本語版をせっせと上梓しているエリック・ランダーの総説にでてくるんだこの 「connecting the dots」が。小見出しとして。ランダーどんなつもりで書いたんだろうと思っていたのです。それがこんな話に収斂していくのです。

おそまつ。
 

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