2014年1月21日火曜日

がんゲノム研究から学んだこと(8)最終回:Cell 誌 Eric Landerの総説

Eric Landerの総説とは昨年(2013年)3月号のCellに掲載されたランダーによる「がんゲノム学総説」のことである。ランダー自身が渦中にあって、その先頭に立って邁進してきたポスト・ヒトゲノム計画後の大量並行シークエンスデータを元にした、この10年の総括である。


Cell, Volume 153, Issue 1, 17-37, 28 March 2013

Lessons from the Cancer Genome 
Levi A. Garraway1,2,4 and Eric S. Lander3,4,5,* 

1 Department of Medical Oncology and Center for Cancer Genome Discovery, Dana-Farber Cancer Institute, Boston, MA 02215, USA
2 Department of Medicine, Brigham and Women’s Hospital
3 Department of Systems Biology Harvard Medical School, Boston, MA 02115, USA 4The Broad Institute of Harvard and MIT, Cambridge, MA 02142, USA 5Department of Biology, Massachusetts Institute of Technology, Cambridge, MA 02139, USA


読む価値の極めて高い総説だと思ったので、敷居の高い部分はあったものの、訳を試みた次第である。本来は昨年の内に上梓すべきものであったが、今回最終回で8回にわたる紹介を終える。

読み終えて・・・・・・・・


わかったことは限りなくある。極めて見通しは良くなった。がんを論ずるにあったて、少なくとも遺伝子ゲノム変異に関してはプラットホームが出来ありつつあるといってよいだろう。

最終回でランダーが述べているように、がんに対する治療薬の臨床試験では、今後患者の遺伝子ゲノム情報抜きの治験はあり得ない時代になっていくことだろう。

あるいは胃癌、大腸癌・・・別の、すなわち臓器別治験も変容していく可能性がある。 遺伝子ゲノム変異が共通しているグループとしてなら、同時に治験の対象になる(胃癌のサブグループと大腸癌のサブグループと肺癌のサブグループと卵巣癌のサブグループが同時に同じ治験対象となる)そんな時代になっていくことが示唆される。

世界的な治験センターが1カ所になる可能性も示唆される。これがハッピーでないひともまた多かろうが、時代はそれを許さない。

ビッグデータのなかで、一番利用しがいのあるのが、医学データであり、その中でも 遺伝子ゲノムデータ、あるいはOmicsデータ、もっと言えばiPOP (integrated personal omics profiles)データであろう。

お金になるかどうかは、小生に取ってはどうでも良いが、「看板あるいはかけ声」としては、「お金」というものは、世を動かすにはとても良いdriving forceとなる。「このビッグデータはお金になりますよ」と皆さん宣伝して欲しいものである。それで研究が一挙に進めば素晴らしい。




次世代がんゲノム学

系統的ゲノムワイド研究を補完するものとしての「個別的アプローチ」の持つ価値(これはダルベッコが予想していたものである)はがんゲノム研究から得られた最初の成果の一つであった。ゲノム研究の初期成果はすでに基礎研究と臨床研究およびその架け橋的研究の最前線を拡大させている。とはいえ、現状の研究は包括的ながんゲノム研究がもたらした豊穣な成果のほんの表面をかじっているにすぎない。がんゲノム学はがん原発巣における遺伝子変異を拾い上げ記述することに精力を向けてきた。今後数年でこの研究領域は守備範囲を大いに拡大し、生物学的および臨床的な疑問への系統的な情報に答えてくれるようになるだろう。
以下次世代のがんゲノム学にとって重要な4つの構成要素を述べてみたい。

原発巣における変異遺伝子アトラスを完成させること

あらゆる癌腫において原発巣における変異遺伝子リストを完成させることは愚直ではあるがしかしやはり極めて重要な仕事である。がん関連遺伝子のリストは極めて長いしっぽを持ち、しかも癌腫によって同じ遺伝子であってもその変異頻度がことなるという条件を考えると、そのような研究には数千のがんー正常ペアサンプルが必要になる。

 なぜそこまで完全性にこだわるのか?頻度が低いドライバーであっても数がまとまれば癌化に重要な働きをすると考えられるし、それらはとてつもなく面白い機能を持っている可能性があると科学的には考えられる。一方医師というものは、自分の患者の全てのドライバー変異を知ったうえで最適な治療を考えたいと望むものなのだ。幸いなことにシークエンスのコストは低減化しているし少量のホルマリン・パラフィン固定病理サンプルからでも解析可能な技術力は向上してきているので、以上述べた希望が叶えられる環境になってきている。解析はエキソームから全ゲノム(転座も補足可能だ)、トランスクリプトーム、エピゲノム(少なくともメチロームや一部のクロマチン修飾)に広げなくてはいけない。局所的ではない染色体コピー数変化、エピゲノム修飾、非遺伝子領域における転座をつかまえる技術と解析力が今後必要とされる。また生まれつきのゲノム変化を完全に解析し、ここから発がんリスクにつながるゲノム情報を得ることも重要である。

その遺伝子変異地図を転移、再発、播種等々の腫瘍アトラスに拡張すること

さて第二の要素は作成されたそのアトラスを原発巣からそのがんの自然史に沿った進展の過程を包含するアトラスに展開することで、モデルシステムを構築することである。自然史に沿った変異アトラスとは、すなわち前がん状態にはじまり、様々な遠隔組織に対する転移巣解析にいたる変異の歴史をたどるアトラスのことであり、また同時に治療に対する様々な反応—すなわち劇的な効果、元々の抵抗性、あるいは獲得された抵抗性それぞれを説明するゲノム解析のことである。理想的には腫瘍の臨床治験ではすべからく上記の解析が行われるべきものと考える。ゲノム解析は動物モデルにも応用すべきと考えられ、そうすることで動物実験はヒトのがんと密接に連係づけが出来るようになるのである。遺伝子改変動物モデルに加えて大動物(特にイヌ)における自然発癌を詳細に検討することで薬剤試験に有効な治験をもたらすことになると考えられる。

パスウェイ変異によって細胞が傷つく過程を明らかにするエンサイクロペディアの作成

変異カタログができるとがんゲノムの詳細な構造が明らかになるが、しかしカタログだけでは充分とはいえない。
我々が必要とするのはパスウェイ変異と細胞が傷つくことーこの両者ががんゲノムの変異とどうように相関するかを説明する機能的な百科事典とでも呼べるものを構築することなのだ。ゲノム学的アプローチは系統的な機能解析と構造的解析の両者を推進していくことだろう。機能的な百科事典を構築することで(1)どのようながんゲノムのタイプであっても扱えるモデルを作ることが可能になる(2)作ったモデルをゲノム変異、基本的なパスウェイ、治療上の脆弱性の面から説明できるようになるであろう。すでに進行中のプロジェクトでは膨大ながん細胞株を収集し、細胞の状態をRNA、蛋白質、蛋白修飾状態で特徴づけ、抗癌剤への感受性を決定し、RNAiですべての遺伝子を抑制し、微小環境との相互作用を観測する。このような莫大な種類の細胞株を用いた解析により、パスウェイと細胞の脆弱性を特定の遺伝子座と関連づけることが可能となりがん生物学への計り知れない知見、臨床治験に参加する患者選択の有用なマーカーさらには有効ながん治療薬へのヒントをもたらすのである。
現状のがん細胞株とはがんの細胞あるいはがんゲノムとしてはかなりのバイアスがかかったものである可能性があるのは、このような研究のもつ一つの限界である。このような限界を超えるものとして最近では新しい方法(Rhoキナーゼ抑制薬で処理したフィーダー細胞を培養ディッシュに敷き詰めること、あるいは「オルガノイド」培養法)が応用されるようになりがんモデルのレパートリーがかなりの程度増加しそうである。患者由来のヌードマウス移植腫瘍もまた新しい治療法の前臨床研究には欠かせない。


癌ゲノム情報を広くあまねく広げる努力を

さて最後の要素であるが、基礎中の基礎である一般の人々への情報伝達である。広く情報を共有することのが極めて重要なのである。
がんゲノム情報は基礎研究のレベルから今や世界中の数百万人の患者を対象とした解析手段になることで、その情報量は数年の間に指数関数的増加をきたしている。怒濤のごとく増加するゲノム情報と臨床データを共有し広く解析することが可能であれば、がんの理解と治療は加速度的に速まる。ゲノム情報はがん遺伝子の発見ばかりか治療反応性に関係する腫瘍の遺伝子タイプを見出すこと(新しい薬剤が劇的に効く患者のいることや別の組み合わせだとそこそこにしか効果がないことなどの知見を見出すスピード)を加速する。事実上、世界中のがん治療が一つの研究室と連結し、たゆまぬ進歩を遂げているかのごとくである。これが現実性を獲得るためには研究者、病院、患者団体によるバランスの取れた協力が欠かせないが、そうすることで二つのゴールをめざす。(1)知見を総覧することが可能なコンピューターシステムの創成と(2)知見を共有しようという「文化」を人々の間に広げていくことである。現状の米国における医療レコードがそうであるように、ゲノム情報が検索不能の場所に隠匿されてしまわれることや解釈不能のフォーマットで保存されてしまうことも容易に想像出来る。
そのような結果にならないために、データとデータ解析には共通であり、しかも相互操作可能な標準フォーマットが適応されるようにしておくこと、クラウド標準でデータの管理は厳重であること、患者のデータ遺漏がないような厳重なシステムを保証しなければならない。
技術的基盤だけでは充分とはいえない。臨床医、病院、そして保険ネットワークもまた、臨床データの収集と分配に力を注がなければならない。製薬会社等々も終了した治験から得られるデータの公開に努めなければならない。最後に患者支援団体は丁度AIDSで経験されたような文化を大きく変える、すなわち革命の起動力を喚起しなくてはいけない。自分のデータを公開するかどうかの決断は患者自身にあるとしても、(適切なルールがあり患者プライバシーの保護が守られたとしても)患者が自分の情報を将来の世代のがんの治療のために積極的に公開してくれるかどうかにには疑問がある。がんに対する世界的な戦いのために彼ら自身の情報が役に立つこととそのような権利を彼ら自身が持つことを我々は患者に伝えていかなければならないのである。


結論

ゲノム遺伝学は癌研究に対する強力なツールになり、重要で驚くべき成果を生み出すとともに、更に細胞機能に基板を置いた系統的な分類を可能にしつつある。
癌ゲノム学がまさに産声をあげ始めているが、現在は原発癌における変異カタログ作成に集中しているところである。目的をかなえるために、この領域の研究者はより深いがんゲノムの構造的特徴を明らかにしなくてはいけない。癌細胞の機能的特徴を補完しなくてはいけない。そしてそれらの情報を世界中に敷衍させる必要がある。
究極的に癌ゲノム学は敵の全てを把握するべく邁進中である。癌ゲノム学だけで勝利の保証が与えられているわけではないが、それが攻撃の重要な要であることは間違いがないところであろう。

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