2019年4月26日金曜日

ブレナーの追悼文その(1):natureから

Sydney Brennerの追悼文がnatrureに載った。結構速かったですね。

Sydney Brenner (1927-2019)


Mischievous steward of molecular biology’s golden age.


 

このタイトルであるが、「分子生物学黄金時代のやんちゃなsteward」というのがなかなか意味深である。執事なのか幹事なのか・・・。あるいは世話役なんて言葉もある。HPジャッドソンの「分子生物学の夜明け」という1982年の本があり、ワトソン・クリックの二重らせんのころからのドキュメントを詳細に綴った本でとてもおもしろかったが、上下二巻のこの本にはいろんな場所にブレナー氏が登場する。クリックが二重らせんモデルを構築するころ、キャベンディッシュ研究所でクリックの同室者はブレナーであり、クリックにとっての有力な議論相手だったと記述される。これに始まりメセルソンやベンザー等々、当時のありとあらゆる分野の分子生物学者と関わりを持っていたことがいきいきと描かれている。

彼の凄さは1960年代に自分の作り上げてきた分子生物学に飽きてしまったことだ。そして次は何をしようというときに「研究の方向性」とその時代に得られる「最先端の技術」が明確に見えていることだ。僕が尊敬するのはここだ。

DNA/RNAは「終わった」として次は「細胞」であり「組織」であるが、ここに「細胞系譜」を持ってくるところが古典的生物学者には発想の及ばない鬼才なのである。なぜ彼は「線虫」の存在と可能性に気がついたのか。ここがすごい。

これだけではない。同じようなことはもう一度あり、彼はゲノム・プロジェクトの最中に「フグ」のゲノム解析をやってくれたのである。ショットガン・ゲノムシークエンスをやっていた小生たちには、すごく助かるプロジェクトであった。ヒト・ゲノムの森林の中で迷いに迷うと僕たちはフグのゲノムに救いを求めたものだ。ヒントは数限りなくあった。
そう、フグは遺伝子と遺伝子の間の距離が短くて極めてコンパクトなゲノム構造をしているのである。そのわりに哺乳類に近い遺伝子を共有している。とても良い「参照ゲノム」だった。ブレナーはなぜ「フグ」に気がついたのだろう?


さてさて、かれの真骨頂は線虫研究でありこれがノーベル賞に届くわけである。しかしながら小生にとってはそれ以前のそれこそ「分子生物学の夜明け」時代にいきいきと分子生物学を作っていく姿が印象に残っている。

このnatrureの追悼文であるが書き手はブレナーの伝記を書いたErrol Friedbergである。このひとについては2011年ころ沖縄の新聞社がブレナーの伝記を出版しておることから、小生多少混乱したので当ブログで紹介したことがある。

ご冥福を祈ります。



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