シューマンの交響曲についてはアメリカにいるときBox/Voxの4曲全集を購入した。今から10年くらい前のことである。地味な交響曲だとずっと思っていたが、時々は聞き返すほどのちょっとした琴線に触れる部分はあったわけであり、これはカリンニコフとはことなる。カリンンコフはおそらくもう聞かないだろう、余程のことが亡い限り。今日夜九時からのN饗アワーを聞いていたらシューマンの3番:ラインをやっていたのだが、これには聞き入ってしまったよ。ついに来たという感じ。ようやく私にもシューマンがわかるようになったようだ。これは実はとてもうれしい。いろいろな作曲家のなかでシューマンは本当に苦手だったのだ、これまで。苦手ならきかなければいいのだが、この作曲家だけはなぜか気になるのである。嫌いではないのであった。わからなかったのだ、その良さが。今晩いきなりその良さがわかったというわけで、実にうれしい。
こんなことは滅多に亡いのだよね。嫌いな作曲家は始めから相当嫌いだし、好きな作曲家はかなり初期から入れ込むわけだ。というか、じつは嫌いな作曲家というのはそんなにいないよな。少なくともクラッシック音楽として生き残ってきた曲目であるから、そんなに駄作が残る訳がないからである。そんななかシューマンは苦手だった。本当に苦手だった。でも嫌いではない。わからないだけ。だから今日はうれしいぞ。
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