2010年10月25日月曜日

ノーベル医学生理学賞を振り返る(6)

1950年代である。小生にとっても大過去の時代ではある。

1950年 諸種の副腎皮質ホルモンの発見およびその構造と生物学的作用の発見
1951年 黄熱およびその治療法に関する発見

1952年 結核に有効な初の抗生物質であるストレプトマイシンの発見
1953年 クエン酸回路の発見
    コエンザイムAおよびその中間代謝における重要性の発見
1954年 種々の組織培地におけるポリオウィルスの生育能の発見
1955年 酸化酵素の性質及び作用機序の発見
1956年 心臓カテーテル法、及び循環器系に生ずる病理学上の変化に関する発見
1957年 ある種の体内物質の作用を阻害する合成化合物、特に血管系及び骨格筋に関するものの発見
1958年 遺伝子が厳密に化学過程の調節によって働くことの発見
    遺伝子組換えおよび細菌の遺伝物質に関する発見
1959年 リボ核酸およびデオキシリボ核酸の生合成機構の発見

50年のステロイドはcorticoの方でありコルチゾンの発見。よくコルチゾンという言葉を聞くがこれは今では主流ではないらしい。といいますか私たちが頻回に治療薬として使うコルチゾールとは別のものであるようだが、コルチゾンがあってコルチゾールが見いだされた。のだろう。
51年は野口英世にとどめをうった黄熱病の研究者が受賞。野口博士がアゴラで黄熱病のために亡くなったのが1928年であるから、23年後の受賞ということであり余り日時が経っていないのだね。野口英世が前時代の最後を走っていたということなのだ。
52年はワックスマンによるストレプトマイシンの発見。結核に有効というのは当時は切実だったのだな。さて現在の結核初回標準治療を眺めてみよう。

   初回治療例の標準的治療法
日本結核病学会治療委員会:2002年

(A)法:RFP+INH+PZA に SM(or EB)の4剤併用で2カ月間治療後,RFP+INH(+EB)で4カ月間治療する。

(B) 法:RFP+INH+SM(or EB)で6カ月間治療後,RFP+INH(+EB)で3カ月間治療する。
     原則として(A)法を用いる。
     PZA投与不可の場合に限り,(B)法を用いる。

かくのごとしであり、今現在もストレプトマイシン(SM)は大事な主演クラスの薬剤なのである。ノーベル賞も当然か。ただしこのノーベル賞には教授と弟子の壮絶な争いがあったようである。弟子のシャッツというひと(実質的な発見者)が受賞できなかったので訴訟を起こしている。ワックスマンとの間にには和解が成立しているという。この場合やはり通常はワックスマンの功績ということになるんだと思う。発想して用意したヒト、組織して弟子を集めたヒト、指導したヒト。

53年はクレブス回路。医学部の生化学の講義では全部覚えさせられたし、今では高校生物での中核知識の一つのようだ。恥ずかしながら小生はすべて忘れている。教科書に載る仕事の筆頭でしょうね、クレブス回路。
54年はポリオで受賞であるがソークが貰うならもっとインパクトがあったのに。ソークらのワクチンが成功する前段階として地味な単離培養の仕事があったということなのだろうが・・・。う〜〜む。
55年
う〜〜む。テオレルという学者の酸化酵素の仕事ということであるが、オキシダーゼう〜〜む。歴史的貢献度がいまひとつわからない。
56年は心カテに対する貢献であり、これは素晴らしい臨床貢献である。われわれ臨床医は心カテについてはフォルスマンという名前をよく耳にする。実はこの年の受賞者の一人なのだが本日知ったエピソード:

  • ヴェルナー・テオドル・オットー・フォルスマン(Werner Forssmann、1904年8月29日 - 1979年6月1日)は西ドイツエーベルスヴァルデ出身の医師。人間の心臓に初めてカテーテルを通した人物として知られている。
  • 1929年、彼は腕を切開し、自身の心臓の右心房に尿カテーテルを通した。その後、自ら放射線医学の部署まで階段を降りて行き、レントゲン写真を撮って心臓にカテーテルが入っていることを確認した。彼はこの一件で病院を解雇されたが、心臓の研究への貢献により、1956年度のノーベル生理学・医学賞を受賞した。(Wikiに載っていたぞ!)
まあなんという乱暴な方なんでしょう。でもこの好奇心はすごいわ。ピロリでノーベル賞を貰ったマーシャルが、みずからコッホの3原則を証明するために単離したピロリを飲み干して後に胃カメラを受けたという有名なエピソードに匹敵する。

57年のテーマ「ある種の体内物質の作用を阻害する合成化合物、特に血管系及び骨格筋に関するものの発見 」これは笑ってしまうほど謎に満ちている。実は抗ヒスタミン薬の開発をした人として有名らしい。これなら全世界的に臨床貢献度大である。ノーベル賞の受賞理由は異なる、実は彼はサクシニルコリンの発見者なんですと。いわゆるサクシンであり、これなくして麻酔はあり得ない(おそらく)という薬剤。このダニエル・ビボットというヒトの名前はもっと知られても良いかもしれないね。

58年からはいよいよ現代分子生物学の巨匠達の登場である。この年はビードルとテータム、それにレーダーバーグである。前二者はアカパンカビと放射線変異という、それまで無かった実験生物学。
レーダーバーグは細菌の接合による遺伝子交換というか遺伝子移行による表現系の変化、あるいは表現系の変化が遺伝子移行によるものを明らかにした。小生にとっては「レプリカプレート法」の開発者ということで尊敬の対象である。レーダーバーグの「レプリカプレート法」の説明によって、小生の突然変異に対する考え方が完璧に間違っていたことを初めて認識させられショックだったからなあ。
59年「リボ核酸およびデオキシリボ核酸の生合成機構の発見」というテーマであるが、これだけで受賞者の名前が浮かぶか?
これ実はオチョアとコーンバーグなのだね。コーンバーグはDNAポリメラーゼの単離という不滅の大仕事(息子に手伝って貰ったけどね)である。オチョアは?オチョアは良く名前を聞いていたがノーベル賞の受賞対象研究は実はRNAの合成についてだという。そうだったけ?

さて50年代で最もインパクトのあるノーベル賞は何だろう?こうやって振り返ってみて初めて見えてくるものがあるねえ。人類にとってなら、おそらくストレプトマイシンかもしれない。ポリオよりも恩恵を被る患者は多かったし、今も多い。ストレプトマイシンを前にすると心臓カテーテルも局所的な仕事に見えてしまう。臨床的な側面を持つ研究に多くノーベル賞が与えられた時代だったといえるだろう50年代。

では基礎的には?これは
ビードルとテータム、それにレーダーバーグだろう。これは60年代のワトソン・クリックに相当するパラダイムを変える研究だったと思えるから。コーンバーグには悪いが研究のレベルが違うと思うな。

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