- 自分ではやったことがないが、若い頃周りの先輩・同僚・後輩にS100蛋白を染めていたヒトが多かった。これはランゲルハンス細胞(樹状細胞)を染め分ける染色ということで、特に癌組織での免疫反応を見るのになかなか良い指標とされていたものだ。最初の頃は50ccのファルコンチューブに入った抗血清を後生大事に冷蔵庫に入れていたなあ、皆さん。アザイドを入れ忘れて、腐らせると上司からこっぴどく怒られていた。この抗血清は染まり具合がとてもよく、どんなホルマリン切片でも、かなり切れ味鋭く明瞭に樹状細胞を染め出していた。概略、この細胞が多く認められる癌患者の予後は比較的良いというものである。この研究の土台には、癌間質のリンパ反応というものがあるのだ。病理学教室でたくさん胃癌標本をお持ちのところで確かめると良いが、癌組織の周辺にリンパ球が浸潤している癌患者というのが必ずある一定の数ある。同程度の病期であってもリンパ球浸潤の多い癌患者は、予後がよろしいことは昭和の30年〜40年ころから知られていた。これが何を意味するのか? 癌免疫のmajor playerを知るのに、当時はまだCD抗原が無かったのである。但しS100蛋白は知られていたのだ。昭和50年台であろうか。そんなこんなで、全国的にS100蛋白を染めることが流行った時代があったのだな。今ではCD抗原があるので、樹状細胞はそちらで染めるようだ。今S100蛋白といえば、メラノーマやある種の腫瘍を染めるときに使われるようだ。
- 1990年初頭にベルギーのブーンというひとがMAGEという抗原型を見出し、これ以来癌・精巣抗原としてペプチドワクチン治療が始まった。サイエンスに載った彼らの論文はそれまで免疫治療が非科学的とののしられていた状態を打ち破るものとして喝采をあびたのだ。非特異的免疫治療がようやく「分子」を相手に免疫治療を行える時代に生まれ変わった先駆けだったわけだ。治療として合成ペプチドを作って処理させる相手が患者「樹状細胞」なのである。その後MAGE 以外にもいくつもの癌・精巣抗原が見出されている。ペプチドワクチンにおける日本の貢献は実は大きく、初期段階では弘前大学の伊東教授(後の久留米大学)やNIHの河上先生(後の慶応大学)が先陣を切っていた。その後は例えば長崎大学の玖珠先生(後の三重大学)、九大生医研、東大医科研の中村先生などが活躍されたが、でもなんといっても樹状細胞そのものの本質的研究を行っていたのは京都大学の稲葉カヨ先生であろう。
- 今回のスタインマン教授の樹状細胞によるノーベル賞について、いろんな方がいろんなコメントを寄せられると思うが、小生は稲葉カヨ先生のコメントをお聞きしたい。なんといってもスタインマン教授のお弟子さんということだし。
- 膵癌で4年も治療されていたスタインマン教授であるが、その最後に受けていた治療が実はご自分の開発されたペプチドワクチンー樹状細胞治療だったようだ。それが小生にはうれしい。大変な療養生活だったと思われるが、膵癌で4年は長い。ご自分がその分野を作った樹状細胞で自分の最後の治療をされ、残念ながら亡くなったとはいうものの、でもノーベル賞が授与された(受賞に間に合えばよかったのだろうがね)。こんな素晴らしい話が他にあるだろうか。
2011年10月5日水曜日
樹状細胞がノーベル賞:微笑ましい
個人的には樹状細胞には縁がある。
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