- タブの存在:それまでNECのコンピュータで仕事をしてきた小生にとって、字間をあけることはすなわちスペースを挿入することだったわけだが、初めてマックで学会ポスターを作ったとき、タブという概念があることを教えてもらい、モニターどうりにプリントされたポスターの文頭がそろうことの美しさを見て感動した。本当に感動したのだ。これがWYSIWYG(ウィジウィグ)であった。WYSIWYGとはコンピュータのユーザインタフェースに関する用語で、
ディスプレイに現れるものと処理内容(特に印刷結果)が一致するように表現する技のことであった。当時マックのみ可能であった。What You See Is What You Get(見たままが得られる)。90年代のマックの売り言葉のなかでも一番有名なのがWYSIWYGだった。 - レーザーライターの存在:1990年にドイツ・ハンブルグであった学会にポスターを持っていった小生であるが、ミルキーウェイというマックショップを学会2週間前に知り、毎日通ってポスターを作った。もう毎日が楽しくて楽しくて仕事が終わるのが待ち通しかった。小生に教えてくれたのはマックの達人というべききれいなおねえさんだったが、こまったのはこのお店、将来のお客である小生に使用料をとるわけだ。マックを一時間使うと200円くらい取られた。またレーザーライターで印刷するとA4一枚150円くらいだった。当時の正式のアップルストアはこのような上から目線の商売をしていたのだ。しかし一回レーザープリンターで印刷されたポスターを経験すると、もう元には(ドットマトリックスプリンターのことだよ!)戻れない。知的奴隷のようなものだね。
- ページレイアウトソフトの存在:きれいなおねえさんが小生に「ポスターを作るのならこのソフトね」と教えてくれたのがクオーク・エクスプレス(QuarkXPress 2.0J (1989))というソフト。マックを触ったことも無い小生が最初に使ったソフトがクオークなのである。今思えば笑止ものであるな。こんな高級なソフトで教える方も教える方だよな。でも感動しましたよ、このソフト。行間が変えられる。フォントサイズも0.01ポイントで変えられる。なにより驚いたのは字間を変えられるのだ。少ないながらポストスクリプトフォントも入っている。モリサワのフォントが入っているのだ。写植屋さんで作ってもらうよりもきれいな印刷物が手に入った。この頃(1990年代)のPSプリンターの印字の方が今のレーザープリンターの印字よリもきれいではなかったかと密かに思っているのだが、これは小生の勘違いであろうか?
- 値段のバカ高さ:これらの機器のとりこになった小生としては、早速マックを手に入れたくなったわけだが、問題は値段であった。店頭にあった機器はMac IIci + 純正レーザーライターであったが、120万円+90万円くらいで合わせると200万円を超える。高値の華であった。職場のボスに訴えること約半年、漸く購入に成功した。Mac SE30と沖電気のPSプリンターであった。合わせて140万円である。ここでは沖電気のプリンターがみそである。純正のアップルレーザープリンター以外でポストスクリプトが出来るのはこの沖のプリンターだけだったのである。(モチロン商業用にはライノタイプのタイプセッターと呼ばれる器械はあったが、一般人には無関係のしろもの) この組み合わせは当時最強であった。値段は値段としてどうしても手に入れたくなる。
- ハイパーカードが無料で添付されていたこと:ハイパーカードはソフトウェアである。MS-DOSやMacOSではない。マックユーザーならだれでも使えるソフトウェアであった。気の利いた小学生でも使えるが、一方、頭の硬い大人にはとりつくしまのない、何をしたらいいのか全く意味不明のソフトであった。ただ出来上がったソフトー例えば英単語テストーとか、電話番号データーベースとかはー素人が作ったとは思えないくらい気が利いたインターフェースであり、実用的には申し分のないものであった。こんなソフトを無料でつけてくるアップルという会社に小生はいたく感激したものだ。
- エバンジェリストという言葉が世に出回っていたこと:布教者、伝道者という意味であろうか。もともとは宗教用語であるエバンジェリストということばはマッキントッシュとともに日本でも一世を風靡した。日本で一番有名なエバンジェリストは大谷和利さんであり、「マック教」ともいうべき活動をされた。当時どんな組織にもマックのエバンジェリストはいたのではないかと思う。高い器械だったことから、なかなか購入は難しかったが、小生などは組織の番頭さんになっており、また組織のエバンジェリストだったので、視界に入るパソコンからNECを駆逐し、すべてマックに置き換えたものだ。市場に出てくるあらゆるマックをいろんな形で手に入れた。面白かった。
- ソフトとハードが一体化していたこと: 一般人にはマック改造の余地がなかった。インテル系のコンピュータがプログラム可能だったのに対し(小生でも初めはBASICを覚え、後にはPASCALで当直夜勤表作成プログラムを書いたこともある)マックでは基本的にはそれを許さないシステム構成だった。ソフトウェアが優れていたため、それで十分だったこともある。
- 素晴らしいソフトウエアがそろっていたこと:古い順から好きなソフトを挙げると、ワープロでは「マックライト」英文ワープロでは「Write Now」である。今でもこの2つのワープロが好きだ。本当に使い勝手がよかった。Write NowはEndNote(文献作成ソフト)と早くから連動していたし。ドロー系では「マックドロー」これで十分だった。学会/論文にこれ以上は要らなかった当時は。ペイント系ソフトは余り必要を感じなかった。写真では「Degital Dark Room」であろう。グラフ作成ソフトではデルタグラフが良かったり悪かったり。これはバージョンアップをする度に出来・不出来の差が著しかった。(後のHP作成ソフトであるDream Weaverや写真アルバム作成ソフトであるも出来不出来が目立ったソフトである)デルタグラフより優れていたのは、KaleidaGraphかもしれないが、これも初期バージョンが美しかった。統計ソフトではStatViewが初期から良かった。私はこのVer 1.0を持っていたが、厚てのボール紙を折っただけの簡素なパッケージ(その中にフロッピーと英語の解説書が挟まっている)と値段のバカ高さが印象的。パッケージは例えて言えば、藁でくるんだ納豆のイメージである。値段は8万円だった。91〜2年のころはこんなソフトは売れないのだ。街中のアップルショップに一年くらいずーっと売れずに置かれているのを知っていた小生、店員と交渉したところ、なんと一万円で売るという。急いで買って帰りました。つい最近までバージョンアップを続けていたが、あの有名なStatViewだがver1.0から使っているユーザーはそうはいないと思う。プレゼン用のソフトはAldus Persuasionが人気だった。とはいえ、まだプレゼン用プロジェクターは一般には手に入らなかったから、これはスライド作成用であった。Persuasionで作ったプレゼンファイルを最後に専用のカメラ付き機械を使い、35mmカラーフィルムに焼き付けるわけだ。そして現像してもらう。マック登場以前、スライドを作るのに幾らかかったか覚えているだろうか? 青バック白活字のスライドを10枚作るのに確か5万円以上かかったはずだ。これは写植スライド原稿を活字で作ってもらうところから依託しての話。元原稿は手書きである。いずれにしても学会の一週間前にはほとんどできあがっておかないと予行演習もできない。ふところは大いに寂しくなる。そんな時代から、カラースライドが思いのままに数百円でできる時代になったわけだ。しかも予行演習はPersuasionファイルをパソコンモニターで流して済ませてしまえる。ミスや校閲はその場で修正し、学会直前に現像すれば無駄なお金がいらなくなる。皆さんのけぞって喜んだものだ。
- マックの月刊雑誌は魅力的であった:MacLifeはいまの月刊女性雑誌と同じくらいファッショナブルな雑誌だった。MacJapanは中身が濃かった。Mac + Cyberという月刊誌はぶっ飛んでいた。前衛雑誌のような雰囲気の超オタクな雑誌。
- そんなこんなでアップルに夢中だった:だからつぶれてほしくなかった。小生がのめり込んだ頃から、漢字Talkが進化したり、カラー化が進んだり、マルティタスクが実現したり、true typeが登場したり、CDが読めるようになったり、あるいはインターネットが始まったりわくわくどきどきの時代だったが、しかしジョブズはいなかった、不在だったのだ。だからいつもアップルは存亡の危機にあったのだ。つぶれないように、それでだけを祈って、番頭さんはマックを買いまくった、買わせまくった。関係したマックは20台以上あるのだ。1企業を応援する為に、買いまくったわけであるが正直馬鹿である。stay foolishを実践したのだ。
2011年10月6日木曜日
マッキントッシュと私:人生はかないなあ
マッキントッシュにわくわくさせられた理由を考えてみた。当然初めの頃(90年代)のほうがインパクトは大きい。
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