2008年2月23日土曜日

1000人ゲノムプロジェクト(1)

1000人ゲノムプロジェクト

この話を聞いたのがいつだったか忘れたが、国内ではほとんど報道されていないのではないだろうか?日本国のマスコミは「ゲノム研究」は終了したものと思っているようである。本当にもったいない。「ゲノム研究」を核に医学サイエンスの記事を継続して執筆できるライターが育ってないのか、あるいは力がないのか?
また昨日は理化学研究所のゲノムセンターが10年間の大業績にも拘わらず、クローズされるという報道があった。この国の科学行政を率いる連中は大馬鹿ものである。

日本のゲノム研究は孤軍奮闘で始まった。最初の大きな成果は遺伝研の小原雄治先生の「大腸菌ゲノムマッピング」であり、1987年の「Cell」に発表された。Venterが本格的に活躍し始める数年前である。このころの大きな(今思えばという感もある)仕事の一つは当時九州大学の榊さんのゲノム反復配列(LINE-1)の仕事であり、これが86年頃の「Nature」。西郷さんのショウジョウバエのcopiaなどの仕事もこの頃である。このあたりはダイナミックで、素晴らしい研究だと思う。慶応の清水さんも頑張っていたなー。いや日本のゲノムプロジェクト的な仕事の実質は慶応の清水信義さんの仕事であると私は初めから思っていたし、途中でヘゲモニーを奪われているなとも感じていたし、終了したあとの清水さんの評価についてはもう憤りさえ感じるのである。榊さんは80年代の研究者である。90年代以降はなにもしていない。清水さんは80年代〜2000年代まで一貫してゲノム研究者として一流の仕事をしてきた。
もうひとりゲノムで90年代以降本質的に素晴らしい仕事をしたのは理研の林崎さんであろう。

この林崎さんや清水さんが余り評価されずに、榊さんが評価される(あるいは目立つ)ことに日本の悲劇を感ずるのだ。
アジアのゲノム拠点は「北京ゲノムセンター」に中心が移り、大きなポストゲノム研究がここを中心に動いていることが情けない。どうしてこれほどの人材とリソースと成果を持ちながら、日本はポストゲノム研究を展開できなかったのか?

このあたりについて考えてみたい。

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