昨日家に帰って食事をしながらテレビを見ていたら8時ころテロップが流れ、2,017年ノーベル文学賞がカズオ・イシグロ氏に与えられると出て、大変驚いた。もちろん村上春樹が今年もだめだったため残念だということと、イシグロ・カズオが取ったことで更に村上春樹の受賞は遠のいたなあと思ったわけであるが、さらにいえばカズオ・イシグロはノーベル賞をとるような人だったのかという驚きが最大であった。
小生にとってカズオ・イシグロ氏という読み方はなんとなく犯罪者のようで、やはりイシグロ・カズオのほうがしっくり来るのだ。ブッカー賞を1989年「The Remains of the Day」で取った時、かなり日本でも騒がれたし、騒がれたから小生もその存在に極めて興味をもった。
ブッカー賞を知ったの84年頃だがそれはなんといってもJ・G・バラードの「太陽の帝国」やマーガレット・アトウッドの「侍女の物語」が最終選考で落とされたので、こんなのを落とす文学賞があるんだと意識するようになったからなのだ。マーガレット・アトウッドはいまでも有力なノーベル賞候補らしいがが、「侍女の物語」は今でいうディストピア小説の嚆矢でもあり女流SF作家としてはル・グインやジェイムズ・ティプトリーほどではないが一世を風靡した。今回知ったがアトウッドがブッカーを落とされた同じ年(1986年)にイシグロ・カズオの「浮世の作家」は最終選考まで行っている。
イシグロ・カズオの「日の名残り」や 「浮世の作家」というのはペーパーバックを読みましょうという集まりではよく題材に使われるようで、私の自宅にも旧い2冊のペーパーバック版がある。家内も当時読んでいたのを覚えている。
その後のイシグロ・カズオについてはよく知らなかった。翻訳される彼の小説はおそらく10冊も無いはずで、寡作といってもよいのではないか。
「Never Let Me Go」はそんななか久しぶりに話題になった。読んでみたかったが、題材が重すぎて当時の小生には無理であった。
イシグロ・カズオがなぜ日本語を話せなくなったのか昔から興味があった。一緒に渡英した両親が問題なのだろうか? 父・石黒鎮雄については今回ネット検索するといろんな情報が手に入った。(以前こんなことを調べようと思っても無理だったよな・・と慨嘆する)
- 1父親らしい父ではなく仕事一辺倒であり、カズオが幼いころは殆ど家にいなかったらしい。このため父親との会話の記憶がないようだ。母親の日本語がすべてのようであり、いまでも日本人の女性の日本語はかろうじて聞き取れるとのこと。だが日本人男性の声は耳に入らないらしい。(ほんまかいな!)
- 英語を含めて相当な数の論文(35歳までに35編)を書いていたようであり、この論文が英国で目に止まり英国の油田開発に海洋学者として招聘されたのだ書かれている。1950年代に(すなわち戦後10年たたない間に)これほど国際的に活発な日本人学者がいたことが驚きである。ちなみに父・石黒鎮雄は九州工業大学の卒業生ということである。
- 父・石黒鎮雄については断片的に幾つかの情報がネット上に流布されているが、もっとも面白いものは・・・
海洋学者Shizuo Ishiguro、日本出身地球物理学者の波
という文章であろう。なかなか本格的なノートである。イギリスに渡った研究者-シズオ・イシグロをさがして
もう一つこういうものもある。更にアマゾンの本屋さんには彼の書いたという書籍が掲載されている。
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