なぜ小生がこれほどブレナーにこだわるのか不思議に思う方がいるかもしれない。同時代の先生ではないし、はるかに眺める巨匠ではあるが、伝え漏れ聞くエピソードからどうしても気になって仕方のないお方だったからであるし、自分にとって黄金期の解説本や黄金期巨匠たちの自伝に頻回に登場するブレナーさんだったので、学生のころからとても親しみを感じていたことと、90年代初頭に小生自らホロビッツに出会ったことも大きいかもしれない。90年代後半小生がショットガンをやっていた頃、ブレナーのフグゲノムにも助けられたことも大きい。ノーベル賞を生きているうちにとってほしいと切に願い続けて21世紀になりようやく受賞したこともうれしかった。取るにふさわしいと誰もが思い続けていた学者が、ノーベル賞を取れない例をこれまで数限りなく見てきた。それだけに、ブレナーさんが取ったときは心の底から良かったと思ったのだ。
というわけでサイエンスの追悼文であるが、ここでは他の雑誌が触れていない「フグ・ゲノムプロジェクト」を語っているのが嬉しいのと、遺伝子工学の指針である「アシロマ会議」におけるブレナーの貢献について触れているのが良かった。そしてmRNAの存在認識についてクリックとの議論中のひらめきについてのエピソードもなかなかのものである。
多才な人の多面的な業績をいろんな語り口からいろんな雑誌が語ってくれるのが嬉しい。
最後に著者のCynthia Kenyonの締めくくりの言葉を・・・
As one of Sydney’s many “catches,” I learned from him that doing great science
means choosing the most important problems, keeping an open mind, applying the right tools, searching for meaning in the results, and all the while, having fun. It is with great admiration, and great affection, that we say goodbye to Sydney