2019年5月18日土曜日

ブレナーの追悼文その(3):Scienceから

次はサイエンスである。




なぜ小生がこれほどブレナーにこだわるのか不思議に思う方がいるかもしれない。同時代の先生ではないし、はるかに眺める巨匠ではあるが、伝え漏れ聞くエピソードからどうしても気になって仕方のないお方だったからであるし、自分にとって黄金期の解説本や黄金期巨匠たちの自伝に頻回に登場するブレナーさんだったので、学生のころからとても親しみを感じていたことと、90年代初頭に小生自らホロビッツに出会ったことも大きいかもしれない。90年代後半小生がショットガンをやっていた頃、ブレナーのフグゲノムにも助けられたことも大きい。ノーベル賞を生きているうちにとってほしいと切に願い続けて21世紀になりようやく受賞したこともうれしかった。取るにふさわしいと誰もが思い続けていた学者が、ノーベル賞を取れない例をこれまで数限りなく見てきた。それだけに、ブレナーさんが取ったときは心の底から良かったと思ったのだ。


というわけでサイエンスの追悼文であるが、ここでは他の雑誌が触れていない「フグ・ゲノムプロジェクト」を語っているのが嬉しいのと、遺伝子工学の指針である「アシロマ会議」におけるブレナーの貢献について触れているのが良かった。そしてmRNAの存在認識についてクリックとの議論中のひらめきについてのエピソードもなかなかのものである。

多才な人の多面的な業績をいろんな語り口からいろんな雑誌が語ってくれるのが嬉しい。

最後に著者のCynthia Kenyonの締めくくりの言葉を・・・


As one of Sydney’s many “catches,” I learned from him that doing great science
means choosing the most important problems, keeping an open mind, applying the right tools, searching for meaning in the results, and all the while, having fun. It is with great admiration, and great affection, that we say goodbye to Sydney

2019年5月17日金曜日

ブレナーの追悼文その(2):Cellから

昨日・今日でブレナー追悼文がCellとScienceに載った。

Cellの追悼文は愉快だ。

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OBITUARY| VOLUME 177, ISSUE 5, P1081-1083, MAY 16, 2019

Sydney Brenner (1927–2019)







まず写真のキャプション

1967年にお歴々と撮られた写真では若きブレナー君、一人だけ正装をしていないぞ!
おまけに左手でタバコを隠そうとしている。とスルドク指摘されている。

ハイレゾの写真など4種類以上のイメージを用意し、Cell編集部は面白がっている。



クリックするとたばこが見えます。


ちなみに 左から右に
ヒュー・ハックスリー(筋収縮の「滑り説」)
ジョン・ケンドリュー(ヘム蛋白結晶解析:ペルツとともにノーベル賞 1962年)
マックス・ペルツ(ヘム蛋白結晶解析:ケンドリューとともにノーベル賞 1962年)
フランシス・クリック(二重らせん:ノーベル賞 1962年)
フレッド・サンガー(インシュリンの構造決定とDNA配列決定法:二回のノーベル賞 1958年 & 1980年
およびわれらがブレナー君(線虫生物学と遺伝子解析:ノーベル賞 2002年
である。6人で6個のノーベル賞を取ったお歴々である。


秀悦なのは次の文章である。

Depending on your age and interests, Sydney was the man who co-discovered mRNA, or the man who wrote those hilarious Loose Ends columns in Current Biology, or the man who founded the field of C. elegans biology and in 2002 won the Nobel Prize in Physiology or Medicine, or simply one of those smart old guys mentioned in the opening chapter of the textbook.

君の年齢と興味に応じてブレナーの見え方は変わる。ある人にとってはmRNAの発見者の一人であることが印象的だったろうし、別の人にとってはCurrent Biologyの愉快なコラムニストとしての印象が強いであろう。ある人にとっては線虫生物学の創始者でありこれにより2002年のノーベル賞を受賞したということが印象的だろうし、また別の人々には歴史の彼方の傑物なんだろうが、教科書では最初の序章に出てくるたんなるおじいさんの一人。(といったふうに訳してみるが、本当にそうなのだ)

嗚呼、古き良き時代よ!

ブレナーが古典的分子生物学に別れを告げたのは1961年のことである。もう面白いことは残っていない。クリックとともに土俵を離れたのだ。ブレンナーはその後熟慮を重ね、発生学と遺伝子を研究するために線虫をモデルに選ぶ。追悼文はこう述べる。

ブレナーが線虫で最初の論文を書いたのは1974年である。この論文はブレナーの単独著者であるが、これまでに9000回以上引用されてきた。今の時代では考えられようなことだ。まず研究費が続かない。考えても見よ。申請書を最初に出して11年の間まったく成果が出ていないのである。publish or perishの原則からいっても、よくperishしなかったものだ。ここには研究者としてのブレナーのネットワーク、友人関係、あるいは人徳といったものがあるのであろう。それにしてもなあ・・・。論文を出さなくても大事にされる、そんな時代がかつてはあったということで、とてもいい時代だったいうことですね。