なるだけ同じ演目は聴かないようにしてきたが、そのせいか落語に飽きなかった。
さてまとめて半年で200演目聴くと、さすがにいい落語と悪い落語があることがわかる。面白い落語とそうではない落語。意外な落語の世界。現代における古典落語の落ち着きどころに関する私論。古典落語を今後の若者たちは聴き続けることができるであろうか私論。いろいろ思いながら楽しんでいた。
2012年年度末の時点で小生が好きな落語ベスト100といいたいところだが、実際90をリストアップした。最初の35編は特に好きなものである。ちなみにこれらの落語はすべからく予見無く聴いている。落語を聴き始めてしばらくして悟ったことの一つが「世評」に惑わされずに落語を楽しむにはどうすれば良いかということであったが、これは簡単であった。
すなわち本を読まない、ネットで調べないことである。これにつきます。
CD屋さんに行き最初は好きそうな演目を選んでいたが、そのうちほとんど借りてしまったので、隙間CDも借りるようになり、また大作(圓生の子別れ、真景累ヶ淵、牡丹灯籠、ちきり伊勢屋、髪結新三等々)もしっかり聴いた。
こうして200演目聴くにあたっては自分なりに丹念に評価をつけていった。特に好きな35編であるが、今回は最初の演目だけだいたいの好きな順位で書き記した。
- 圓生の「三十石」は途中でとてつもない爆弾が仕掛けてあるのに気がつかせない淡々とした進行であるが、爆弾に一旦触れると腹がよじれるほど笑ってしまう。夕方のラッシュの運転時にあの爆弾はこたえる。ここ数年、こんなに笑ったことはない。
- 「妾馬」はこの半年でいちばん感激した素敵な噺である。この噺だけは他の落語家のものが聴きたくて可楽、志ん朝他聴いてみた。皆さんいいが、でも最初に聴いたさん喬がベスト。
- 談志は封じ込めていたが、150演目あたりから我慢できずいくつか聴いた。幾つかしか聴いていないが、その中では「芝浜」が良い。普通の落語を遥かに越えた噺であろう。素晴らしい。
- 小三治は独特のワンダーランドであり大好きである。火事で当たり富くじが 焼けてしまう「富久」もいいが、「大山詣り」という噺の向こうに見える昔の人の「御詣りにいく」ということに込められた思いが切実でこれもいいぞ。
- 「二番煎じ」という噺を聞くと鍋が無性に食べたくなる。というわけで小生はわざわざ「猪肉」を手に入れシシ鍋を作って食べました。牡丹鍋というヤツです。 味噌仕立てであり意外にも家族に好評であった。
- 圓生の「髪結新三」は問題作である。これは大変な内容である。小生は悪漢小説が好きであり、大抵の悪人は面白ければ許すほうであるが、この噺には驚いた。内容も内容だが、この内容で江戸・明治の庶民が喝采を送っていたとすれば、連中今の我々の数倍すれている。歌舞伎の「髪結新三」も圓生の噺と同様の物語なのであろうか?
どんな内容かって? 一言で言って「出入りの大店の一人娘を誘拐して手込めにして縛り上げ自分の家に拉致したのが主人公新三。店の主(番頭)が馴染みのやくざの大親分に娘の引き取りを頼むが、新三はこの親分を言い負かし、コケにし、引き取りを蹴る。最後は新三の長屋の主が仲裁を買って出るが、これが新三を上回る悪人で身代金を新三からごっそり巻き上げるが、結局娘は無事に(無事にでもないか)・・・店に戻ることになる・・・」というような噺である。この娘恨まれるようなことはなにもしていない、ごく普通の器量良しである。新三は単純に「こんないい女とねんごろになってみたい」と思っただけで行動に移すのである。 圓生は教養と知性にあふれた上品な噺家であるとよく言われるが、こんな噺をするときの圓生は限界までこすっからい。チンピラになりきっていて凄惨である。これは「子別れ」の主人公を演じる時もそうだし、まさに血の味がする。圓生は大変な噺家だとおもうぞ。こんな噺でも「髪結新三」小生面白いと思うし好きな噺である。 - こんなのが落語の 「髪結新三」なのだが、これが歌舞伎だとどうなのだろう。歌舞伎には全く暗い小生であるが、たとえば昨日亡くなった勘三郎の得意だったという「髪結新三」を見てみたいものだ。
- 落語はこのほかに「文七元結」忠臣蔵の9段目7段目等々歌舞伎演目とだぶっている題材は多いようだが、そちらの方にも手を伸ばしてみたいと思う今日この頃である。
- 浄瑠璃も演目がだぶるらしいが、文楽浄瑠璃では同じ噺でも随分内容が純化しすぎているということを言う人もいるので、あまり面白くないかもしれぬ。
- さて怪談ものであるが、これはなかなか面白いのだ。おどろおどろしいのだ。牡丹灯籠なんて江戸時代の噺かとおもいきや、時代設定は明治のようでありこれは意外であった。会話が多いが、これが今の私たちには考えられないくらい、べとついているのである。そこまで言うのかというくらい、相手に踏み込む。こわいかというと、やはり怖い。言霊がまだ生きているころのお話は、やはりじ〜〜んと怖い。主人公はここまで女に惚れ込まれるほどのことをしていないのに、あるいは恨まれるようなことをしていないのに、女に自殺され、幽霊になった女は毎夜毎夜主人公のもとに現れる。これはやはり怖いですな。
- 真景累ヶ淵も随分なお話である。男嫌いの器量良しの御唄いの師匠が唯一惚れた小僧が結局師匠に呪い殺されるというような設定であるが、書いてしまうとやりきれないが、噺で聴くとこれはこれで面白い。
- ところで古典落語を聴いていて思うことの一つはその内容の中に今の日本のテレビ放送禁止に近い噺はいくらでもあるとということである。上記圓生版「髪結新三」など今の現代日本ではテレビ放送することはまず無理だと思う。クレームがいっぱい来そうだということだ。これだと戦争中の「はなし塚」になってしまう。人倫にもとるとかいって、規制噺を葬った「塚」のことだ。たとえば「包丁」クラ スでも戦時中は禁止されたらしい。少し前までは、これらの倫理コードというか放送自主規制はずいぶん緩くて、例えば談志はテレビで「金玉医者」などやっていたという。 実際の「金玉医者」なんてたわいもない、しかし面白い噺なんだが、これもテレビでは無理だろうな、今頃は。
1.
柳家さん喬「妾馬」
- 圓生「文七元結」
- 志ん朝「百年目」
- 立川談志「芝浜」
- 三遊亭金馬「藪入り」
- 圓生「三十石」
- 小三治「富久」
- 小三治「大山詣り」
- 三遊亭圓楽「目黒のさんま」
- 志の輔「しじみ売り」
- 桂米朝「らくだ」
- 春風亭柳橋「二番煎じ」
- 圓生「庖丁」
- 三遊亭可楽「妾馬」
- 志ん朝「明烏」
- 志ん朝「黄金餅」
- 志ん朝『唐茄子屋政談』
- 圓生『髪結新三』
- 圓生「ちきり伊勢屋」
- 志ん朝「井戸の茶碗」
- 志ん朝『佃祭』
- 小三治「味噌蔵」
- 圓生「火事息子」
- 圓生「子別れ」
- 志ん朝「お見立て」
- 志ん朝「付き馬」
- 志ん朝「三枚起請」
- 志ん朝「船徳 」
- 志ん朝「茶金」
- 桂米朝「算段の平兵衛」
- 小さん「千早ふる」
- 三遊亭圓楽「大山詣り」
- 桂文朝「三方一両損」
- 志ん朝『お茶汲み』
- 桂吉朝「住吉駕籠」
- 談志「金玉医者」
- さん喬「千両みかん」
- 金原亭馬生「目黒のさんま」
- 桂文朝「真田小僧」
- 三笑亭可楽「富久」
- 志ん生「火焔太鼓」
- 志ん朝「鰻の幇間」
- 志ん朝「おかめ団子」
- 志ん朝「お若伊之助」
- 志ん朝「大工調べ」
- 圓生「蛙茶番」
- 圓生「掛取万才」
- 圓生「鰍沢」
- 圓生「夏の医者」
- 志ん朝「居残り佐平次」
- 志ん朝「甲府い 」
- 志ん朝「高田馬場 」
- 志ん朝『羽織の遊び』
- 志ん朝『御慶』
- 志ん朝『崇徳院』
- 志ん朝『堀の内』
- 志ん朝『搗屋幸兵衛』
- 金馬 「錦の袈裟」
- 金馬「艶笑小噺総まくり」
- 桂三枝「ゴルフ夜明け前」
- 桂三枝「生中継・源平」
- 桂文楽「明烏」
- 桂文枝「愛宕山」
- 桂文治「夜桜」
- 桂文珍「胴乱の幸助」
- 桂文珍「老婆の休日」
- 桂米朝「壷算」
- 三遊亭金馬「たがや」
- 志の輔「へっつい幽霊」
- 志の輔「死神」
- 志の輔「雛鍔」
- 小さん「ちりとてちん」
- 小さん「一目あがり」
- 小さん「紙入れ」
- 小さん「長者番付」
- 小三治「厩火事」
- 小三治「粗忽の釘」
- 小三治「富久」
- 談志「浮世床」~女給の文
- 談志「らくだ」
- 立川談笑「金明竹」
- 鈴々舎馬風「物真似学校」
- 圓歌「馬大家」
- 圓楽「紺屋高尾」
- 圓楽「小間物屋政談」
- 圓楽「星野屋」
- 圓楽「柳田格之進」
- 圓生「佐々木政談」
- 圓生「百川」
- さん喬「ちりとてちん」
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