2013年9月22日日曜日

小生の心の故郷:島の遺構がついに消滅

先日車で「ある島」へ遠乗りした。連休でやや混雑していたが、もとより観光地ではないので、最後は周りの車がほとんどいなくなり、気持ちがよかった。もうすぐ島というところに大きな湾がある。この湾を越える大きな橋を渡る時、ニューヨーク南からマンハッタンを迂回して、すなわちステッテン島からベラザノ大橋を越えて、クイーンズに入りJF・ケネディ空港へ向う感覚を思い出してしまった。ベラザノ大橋は標高が高いので、湾の向こうに自由の女神やマンハッタンが見えるのが気持ちが良いのだ。風も気持ちがよい。 






































この島には知る人ぞ知る、旧海軍の遺構がある造船所だったところだ。30年くらい前には月に一回ここに通りかかる用が数年に渡ってあり、丁度運転の休憩時間にふさわしいので、いつも一服していた。夏だと日が暮れる時間帯にさしかかり、それはそれは幻想的な空間に変貌する。感覚的にだが、周囲数キロの範囲に自分しかいない、そんな感覚になるのだ。これとおんなじ感覚は、ローマのカラカラ帝の大浴場で経験したことがある。このときは歴史が一挙に2000年くらい遡ったような感覚に陥った。屋根はない。朽ち果てた石柱の間に地中海の青空が見えるわけだが、島の遺構も同じくコンクリートの巨大な列柱の間に、蒼い蒼い空がのぞくというわけだ。悠久を感じることなんて滅多にあるものではないが、でもあの感覚はよい。とてもよい。

自分の子どもたちには、ぜひどこかで経験したもらいたいものだと思う。こればかりは、親が感じた場所でだれもが再現できるものでもないようなので、どこかでね。

さて、先日訪れると、そこは無惨にもなくなっていた。遺構は全く地上から消えていた。平地になり、あの独特のオーラがすっかり消えてしまっていた。 予想はしていたが、とても残念であった。

日本には廃屋・廃園・遺構が山のようにあるが、残念なことに一般の興味を引かない。引かないが故に、あまり人が訪れない。訪れないが故に、朽ち果てるままである。朽ち果てるままであるが故に、数十年の時間経過がそこにはびっしりこびりつく。苔むす。野生の叢林に覆われてしまう。コンクリートが割れて、鉄筋がむき出しになり、更に錆びる。

悠久の時間の無限性を実感するには、こんな環境に身を置くのが一番なのだが、いつか商業資本の目の敵にされ、今回のように取り壊されるのだ。この旧海軍の遺構はおそらく建設以来90年、戦後は70年近く誰にもじゃまされることなく、我々マニアの心のオアシスになっていたのだが、ついにこの世から消えてしまった。まことに残念である。

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