2013年5月27日月曜日

がんゲノム研究から学んだこと(1):Cell 誌 Eric Landerの総説

今年の3月Cell誌に載ったEric Landerの総説は素晴らしい論考なので、じっくり読んだが、日本語として残しておくべきだと考えた。そこでこれを訳してみた。数回に分けてnoteしてみたい。

Lessons from the Cancer Genome 
Levi A. Garraway1,2,4 and Eric S. Lander3,4,5,* 

1 Department of Medical Oncology and Center for Cancer Genome Discovery, Dana-Farber Cancer Institute, Boston, MA 02215, USA
2 Department of Medicine, Brigham and Women’s Hospital
3 Department of Systems Biology Harvard Medical School, Boston, MA 02115, USA 4The Broad Institute of Harvard and MIT, Cambridge, MA 02142, USA 5Department of Biology, Massachusetts Institute of Technology, Cambridge, MA 02139, USA

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がんゲノム研究から学んだこと
(1)

  はじめに

100年以上前ボヴェリは染色体の不均一な分離でがんが発生すると述べた。
遺伝子が突然変異を起こしがんの原因になることがわかるまで、それから70年かかった(Stehelin)。1980年代の半ばにはがん遺伝子がん抑制遺伝子が知られるようになり、癌化には数多くの遺伝子変異が関与することが理解されるようになった。1986年ダルベッコは癌関連遺伝子を体系的に探索するにはゲノム全体のシークエンスをやるしかないと喝破したが、その直後1990年にゲノムプロジェクト(HGP)は始まる。ドラフト・シークエンスが2000年に終了し2003年にはHGPはほぼ完成した。

HGPが終了するや直ちに癌の体系的変異遺伝子解析が始まった。英国サンガー研究所と米国ジョンスホプキンス大学がメラノーマと大腸癌で先鞭をつけると、次いでボストンやニューヨークのグループが肺癌から薬剤感受性関連遺伝子変異を発見した。2006年にはヒト癌ゲノムプロジェクトが開始され2009年には癌ゲノムアトラス(TCGA)に引き継がれた。ほぼ同時期に国際癌ゲノムコンソーティアムが創設され15を越える国々が参加している。

さて、癌をゲノムからアプローチする研究方法であるが、癌研究においてこれは必ずしも一般的な方法論ではない。「ヒトがんゲノムプロジェクト:がんとの戦いにおける誤った戦略」なる論文を堂々と発表する論客もいて、古典的な仮説に基づく研究こそが癌研究の王道であり、ゲノムシークエンスのような体系的研究は金もかかれば焦点も絞り切れていないとの主張も相変わらず根強いのである。仮説を作る研究と検証する研究に両者に偏りのない投資をして欲しいとの意見もある。(もっと安価にゲノムシークエンスができるとこの論争にも決着がつくのであるが)。癌関連遺伝子はあらかた発見されつくして今後は新しい候補の発見はないであろうという研究者もいれば、癌はあまりに複雑で体系的研究など夢のまた夢であるというひともいる。

がんゲノムプロジェクトが始まって数年たつが、やってみてその評価、これまでに得られた成果を公表する時期がきている。本レビューを考えた由縁である。また次のステージでやらなければならない内容についても議論してみたい。なお本レビューの足りない点をまさに補強する論文としてStratton2009nature を挙げておきたい。本レビューではがんのゲノム研究により得られた生物学的、発生学的な諸事項と治療に関する洞察を語ろう。そして最後に次への展開について触れたい。

     技術革新について

がんゲノムプロジェクトは当初、今日の目で見れば随分古めかしい技術で行われていた。変異はキャピラリーシークエンサーで見出され、エクソンは一つ一つ増幅され、シークエンスされたのである。染色体コピー数の増減はDNAマイクロアレイで評価された。転座を初めとする染色体の再構成はほとんど研究の対象にもなっていなかった。シークエンスには費用がかかりシークエンス機器も高価なものであったため、シークエンスデータを多数集めることは大変なことであった。当時の研究ではエクソーム解析を一つの癌腫でごく少数例行うのが関の山であった。

大量並行シークエンス法(MPS)の出現は研究を革命的に変化させた。当初実験一回分で一ギガ塩基読んでいたものが、2012年までには600ギガ塩基にスケールアップした。同時並行ですすんだ技術革新としてエクソン配列をbait配列で選択シークエンスする方法も開発された。MPSは一つの技術にすぎないが応用範囲は広くあらゆるゲノム変異に対応出来る。単一遺伝子変異、ゲノムコピー数変化、転座、転写レベルの変異、スプライシング変異の検出、メチレーション、クロマチン構造変異など、ほとんど全てのゲノム変異に対応出来る技術である。

MPSによる最初のがんゲノム報告は2008Leyらによってなされた。細胞遺伝学的には異常を認めないAML患者の全ゲノム解析である(染色体変異を示さないAMLであるから風変わりな白血病である。こんな病態も全ゲノム解析するとAML特有の変異がみつかるという症例報告である)。

最初の報告は一症例報告であったが、ほどなく数百症例解析が標準となってくる。解析コストが劇的に下がったため、データが爆発的に出だしたのである。 2012年までにはMIT Broad研究所だけでも16000以上の症例がゲノムあるいはエクソン解析を施行された。MPSの到来とともに新しい解析技術も必要となってきた。正常とがんが混在したサンプルから正確に変異シークエンスと健常シークエンスを選び抜く技術がまず必要とされた。DNAにせよRNAにせよそれぞれの変異を捕まえるには独自の技術が必要とされた。この技術には単一遺伝子変異、ゲノムコピー数変化、転座、転写レベルの変異、スプライシング変異の検出、メチレーション、クロマチン構造変異が含まれる。多くの症例DNA検索で変異候補が見つかると、正常シークエンスと比較してその蓋然性を検討して変異遺伝子と確定するアルゴリズムが開発された(Meyerson 2010)

正確に変異を検出する技術は驚くほどトリッキーであることも明らかになった。がんの体細胞変異は1Mbに一回くらいの希な頻度でしか起こっていないので、これを間違いなく異常ととらえる為に要求されるシークエンスのバックグラウンドエラー条件は極めて厳しいものとなる。加えて擬陽性の問題がある。シークエンスエラーでありシークエンス解析技術のエラーであり、サンプル中の癌と正常細胞の比率であり、染色体異常(ploidyの問題)であり、がん組織に複数のクローンが存在することも原因となろう。シークエンス深度(同じ配列を何回読むかということ)の回数が増えることにより、特異性も感度もともに上昇してきた。エクソーム解析では100から150回、ゲノムでも30回から60回は読むのが現在の状況であるが、コストさえ許せばゲノムのシークエンス回数をさらに増やせないものかと考えられている。

正確な変異結果を得ることがなによりも大事なステップである。つぎに難しいのはドライバーとパッセンジャーを見分けることである。どの遺伝子が予想されるランダム変異率より高頻度に変異を示すかを見いださなくてはいけない。それがランダム変異であることを認定するには、高度な数学的手法が必要とされるが、これにはバックグラウンドでの個人ゲノムの変異率や、個人間でのがんの変異率、さらにはがんが遺伝的に単純なものかあるいは多クローンなのか、様々な要素を考慮することになる。そのような検討なしにドライバー遺伝子であると報告された遺伝子もあるが、そんなものは嘘っぱちである。解析症例を増やせばいいかというと、あにはからんやそうでもない。難しい。最近の研究報告では、うっかりドライバー遺伝子となりやすい候補遺伝子については警告が記述され、誤りが紛れ込まないように正確を期している。とはいえ、このアルゴリズムも完璧を期す為の研究は現在も着々と進行中である。
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ここまでで3頁分、全体の 1/7である。先は長いのである。

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