お盆に寄せて色々なことを考える。
お互いにもっと寄り添って生きていけないものか?知らないものどうしでも、一緒に生活できないものか?
1)いそうろう:居候ともいう。子供の頃私の家には居候がいた。正確には春・夏・冬の長期休みにそのヒトは我が家に現れた。居候のコツというのは決して卑屈にならないことであるが、彼は実に堂々としていた。なにもしないで勉強と詩作と昼寝と子供の相手(つまり私や私の友達)をしていた。食客ともいうが、寝床と食事と風呂がただなのだ。掃除をするわけでもない。料理を手伝うわけでもない。風呂を焚くのは好きだったようだ。大事なことであるが、父も母も私もそのことをなにも不思議に思わなかった。理由があって我が家に来ていたことくらいは子供の私にもわかるが、それを詮索する隣人もいなかったし、「今年もまたおいでですか」という挨拶が似合うヒトだった。田舎で育った小生が映画や小説に早くに目覚めたのはおそらくその居候の叔父さんのおかげであった。
昔は日本には結構居候がいたようだ。それは映画や小説だけでなく落語や講談にもしょっちゅう出てくるし、居候を皮肉ったことわざ川柳は山のようにある。持ちつ持たれつが当たり前の時代であるが、こんな時代を復活させることはできないものだろうか?都会の金持ちのじいさん、ばあさんの家に居候。いや居候でなくても、下宿でもいい。
2)下宿:私も一時期下宿していたが、賄い付きの下宿というのはなかなか楽しいものである。私がお世話になったのはもと中学校の校長先生だった老夫婦のご自宅である。母屋の二階に二部屋あり、二人下宿であった。自分の部屋にはテレビがないので、夕食の時間に見るテレビが唯一の視聴であったが、そんな生活をしていた。元校長先生なかなか洒脱で「選挙で誰が勝つか賭けないか?」と私たちに持ちかける。「いいですけど、勝ったらどうします?」と訊くと「そうだな、ビールを1ダースにしようか」というのだ。私たちは高校生だったのだけどね。その時は元校長先生がお勝ちになったので、私たちはまんまとビールを召し上げられた。水道の開け閉めや、食べ物を残すことに大変きびしいお宅だったので、私は初めてそこで食のマナーを学びました。といいますか、よその家の生活習慣に自分を紛れ込ませる時期があるというのは大変有益だと思うのだ。特に若い頃は。だから都会の寂しい老人達に下宿を開くことをオススメしたい。今の若者にはムリだと思うそこのあなた、多分あなたは今の若者のことを知らない。持ちつ持たれつを復活させたい。持ちつ持たれつといえば、部屋をシェアすることもいいかもしれない。
3)部屋を何人かでシェアする:これは小生は未経験である。私のかみさんは学生のころこれをやっていたのだそうだ。楽しそうである。今でもその時の相方とは仲が良い。シェアハウスには独特のルールができあがるのだ。誰かが泊まりに来るときは、相方は留守をするとか。掃除や食事のルールとか。シェアの最大の目的は経済的な節約である。宿賃が2分の1や3分の1になるのであるから魅力的であるが、「考えられない」という若者は多かろう。そんな人たちにお奨めしたい映画がある。この盆休みに見たのだが「スパニッシュ・アパートメント」という。主人公はフランス人。ENAかどこかを卒業したエリート君であるが、語学研修のためにスペインはバルセロナに留学する。お金がないのでアパートにシェアで住み込むという設定だ。なにしろ一つの住居に7カ国7人が住むというのだから賑やかである。とても面白くて、うらやましい世界だが、かつての日本はこうだったのではないかな。
こんな世界に近い社会がかつて日本にもあったと思うが。
4)家に鍵をかけない。だれでも出入り自由: ある報告によると日本家族の孤立が始まったのは公団住宅が建築された昭和30年代のことなのだそうだ。鍵付き公団が売りに出されて、鍵をかけるのが習慣になったのであって、私たち日本人には家に鍵をかけるという習慣はか
つてはなかった(少なくとも日中は)。昼間は誰でも勝手に他所の家に入っていた。それが証拠に小津安二郎の映画を見ると日中は家に鍵などかかっていないでしょう。夕方遅く最後に出入りしたヒトが鍵を閉めるという場面が(注意深く見ると)よく出てくる。これを今の日本でやったら大変だけど、たとえば集会場などで、だれでも出入り自由な空間をもっとたくさん作るとよいと思う。
5)公衆浴場:私のうちには風呂はあったけど、周りの友達の7割の家には風呂がなかった。だから私は公衆浴場がうらやましくてならなかった。(いま考えるととてもイヤミですね)家に風呂があるにもかかわらず、しょっちゅう私は公衆浴場にいっていた。そしてひどくののしられていた。いわく「家に風呂があるくせにナマイキだ」これは主に上級生のイヤミである。それでも公衆浴場は楽しかった。テルマエ・ロマエの世界なのだが、あのような裸の付き合いというのは、とても良いのである。はだかというのは慣れであるから、慣れてしまうととても楽な世界。我が家の子供など他人様の前で裸になるなんてとても考えられないらしいが、慣れて欲しいと思う。この日本独特の文化がすたれてしまうのは勿体ない。その昔日本は混浴だったらしいが、それが社会問題にならなかった時代(たとえば名著:「シュリーマンの日本訪問記」にそのことが絶賛してある)というのが、なんとも馥郁としていて良いと思う。近い将来一億二千万の人口がすぐに8千万人くらいの人口になるらしいから、その頃には復活していて欲しいものである。いや混浴ではなく、皆が和気藹々と風呂につかる文化の話である。
6)よばい:もちろん私は夜這いの恩恵を被ったことはない。そんな時代には生まれていない。しかしこれも極めて面白い文化なのである。(たとえば、赤松啓介の「夜這いの民俗学・夜這いの性愛論」(ちくま学芸文庫)などはひどく面白いのだ)多くのヒトは日本独自であると思っているだろうが、こんなのは日本独自であるはずない。もっと雄大な人類の智恵であるはずだ。詳しいことは本をお読み頂きたいが、さて小生、夜這いを復活させろなんて思っていないが、もっとおおらかな世界が戻ってこないかなとは思っている。恋愛に制限がありすぎない世界。若者も年寄りももっと恋愛ができる雰囲気。やっているひとはやっているのだろうが、ね。
7)坊さんの復活:さてお盆が身近になったこのころはお坊さんと仲が良い。そのお坊さんの世界が大変なことになっているという。全国のお寺の相当数に世継ぎがいないのだ。寺の多くが廃寺になるおそれがあるのだそうだ。私の知り合いの坊さんはこう言う。「キリスト教はいいよな。いつの間にか結婚式と葬式をものにしている」そうなのだ。キリスト教も初めのうちは結婚式や葬式とは無縁だったらしい。中世のどこかで世俗をものにしており、いまでは結婚式と葬式で安泰である。ところが仏教はいわずとしれた「葬式仏教」である。いままでは宗教法人としての税制と檀家制度で左うちわだったものが、いまでは急速に絶滅の危機を迎えている。そこで小生が「じゃ、坊さんたちが病院にこれるように文化をかえちゃおう」と申し上げたところ、これが大受けしているのだ。もっと言えば2025年問題に合わせて地域医療特に終末在宅医療に大胆にも坊さんたちに参加してもらおうという算段である。じいさん、ばあさんは不安なのだ。これまでは死ぬ前に坊さんが目の前にあらわれでもしようものなら「縁起でもない」と一蹴されていたが、これからはパラダイムを変えていきたい。どんどん病院にも入ってもらう。病院内を坊さんがあの格好で歩き回るのが当たり前の時代になると思う。そうすることで在宅終末期医療は精神的にすごく助かると思う。
「な〜にも心配しなくてもいいからね。あんたが死んだら、わしがちゃんと責任もって葬ってやるからな。あと何年先になるかわからんが、それまで仲良くしよ」というのがこれからの坊さんの老健施設での日常会話になるとよい、本当にそう思う。
そんなことを考えている今日このごろであります。
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