2018年10月22日月曜日

免疫チェックポイント関連薬と乳癌

最近抗PD-L1抗体「テセントリク」が乳癌のtriple negative typeによく効くという報告が出ている。数字で見るとなかなかの高成績である。





NEJMの10月20日号のこの論文である。

免疫チェックポイント関連薬については2018年9月の段階ではこのサイトが良くまとまっている。

一部引用させてもらうのは「テセントリク」の適応疾患についてだ。乳癌の適応はこれからだが、triple negativeの一部に化学療法+αに治療法が見つかったとすれば朗報である。








2018年10月20日土曜日

皇后陛下:ジーヴスも2,3冊待機しています。

今朝新聞を読んでいて、とてもすがすがしく気分の良い自分に気がついた。あるページだけが他のあらゆるページにくらべて、まったく違った時間が流れているように思われたからであり、この人達がいる限りボクは生きられると思ったし、あるいはこの人達の存在はかけがえなく自分にとって大事だなと再確認した次第である。

そうなのだ。今日は日本国の皇后の誕生日なのである。その談話というのが新聞には掲載されている。僕は美智子妃が好きなので、あの方の談話やお言葉はよく読むようにしている。

彼女が国民である我々に伝えたいと思うことは、かなり洗練された形で表現されるので、一読でその真意がわかることは少ない。ただ、かなり長い間心のどこかに留まるようであり、少なくともボクなどは何年も何十年も時に思い出されるフレーズがあり、その積み重ねがうねりのように多重的にボクのこころを揺さぶる。

今朝の談話の一部(宮内庁HPより)を抜粋しよう。


  • ・・・公務を離れたら何かすることを考えているかとこの頃よく尋ねられるのですが,これまでにいつか読みたいと思って求めたまま,手つかずになっていた本を,これからは1冊ずつ時間をかけ読めるのではないかと楽しみにしています。読み出すとつい夢中になるため,これまで出来るだけ遠ざけていた探偵小説も,もう安心して手許に置けます。ジーヴスも2,3冊待機しています。
  •  また赤坂の広い庭のどこかによい土地を見つけ,マクワウリを作ってみたいと思っています。こちらの御所に移居してすぐ,陛下の御田おたの近くに1畳にも満たない広さの畠があり,そこにマクワウリが幾つかなっているのを見,大層懐かしく思いました。頂いてもよろしいか陛下に伺うと,大変に真面目なお顔で,これはいけない,神様に差し上げる物だからと仰せで,6月の大祓おおはらいの日に用いられることを教えて下さいました。大変な瓜田かでんに踏み入るところでした。それ以来,いつかあの懐かしいマクワウリを自分でも作ってみたいと思っていました。・・・・


このマクワウリの一文には思わず微笑むしかない。「大変に真面目なお顔で,これはいけない,神様に差し上げる物だから」なんて会話している人たちが平成30年に日本にいるのだから嬉しくなる。「大変な瓜田かでんに踏み入るところでした」なんてユーモアも相変わらずである。

少なくとも日本列島には(日本人)は数万年住んでいると想像するが、このお言葉は数万年生き続けている(日本人)を強く意識し、その末裔を代表する言葉である。あるいは数万年生き続けていることを、そして今後も千代に八千代に生き続けていくことを祈る(日本人)を代表する言葉であるとボクは思う。

農耕を始めて5000年、近代文明を始めて200年、IT文明を始めて30年程度でひっくり返されることのない人類の知恵を、秘め事を、生きるすべを知るヒトの言葉であろう。

天皇制の功罪についてはボクは非常に困った制度だとこれまでは考えてきた。日本人はこのような神聖に圧倒的に弱いことにかこつけて歴代の権力は好き勝手なことをして、責任を取らない。明治政府がそうであろうし、太平洋戦争もそうである。戦後の一時期もそうである。

ただ今の天皇と皇后は違う。かなり積極的に「好き勝手なことに」むけて対峙する。こころ強い存在です。

まだまだの御安寧をお祈りするばかりです。

近代文明を始めて200年、IT文明を始めて30年程度の価値観でこの日本をひっくり返してほしくないと願う一日本人として、かれらのあるいは彼らの健全な精神が次代に引き継がれることを切に祈るばかりです。


最後に「ジーヴス」って何?と思ったあなたはボクのお仲間。美智子さんすごいは、あのお年で。当たり前のように英語でお読みになるのでしょう。待機しているのは原書かしらん。





2018年10月18日木曜日

化学療法と爪の年輪様変化:NEJMのイメージ


October 18, 2018
N Engl J Med 2018; 379:1561

Nail Changes during Chemotherapy

  • Musa F. Alzahrani, M.B., B.S., M.H.Sc., 
  • and Mohammed I. AlJasser, M.B., B.S.

化学療法を行う間に年輪のように変化する爪模様。これには懐かしい投稿がある↓。















Musa F. Alzahrani, M.B., B.S., M.H.Sc.
King Saud University, Riyadh, Saudi Arabia
Mohammed I. AlJasser, M.B., B.S.
King Saud bin Abdulaziz University for Health Sciences, Riyadh, Saudi Arabia

今回のものはサウジアラビアからのもので、ベースの変化が褐色様の変化だから禍々しい。

A 42-year-old man who was undergoing treatment for non-Hodgkin’s lymphoma presented to the oncology clinic with changes in his fingernails. Five months earlier, he had presented with gastric-outlet obstruction and had received a diagnosis of high-grade B-cell non-Hodgkin’s lymphoma. He then completed four cycles of chemotherapy, which had included rituximab, etoposide, prednisone, vincristine, cyclophosphamide, and doxorubicin. Physical examination showed diffuse, dark brown discoloration of his fingernails (melanonychia) and two types of transverse white lines that were not palpable. The serum albumin level was 2.5 g per deciliter (reference range, 3.5 to 5.0). The opaque-appearing transverse lines (long arrow) on the fingernails are called Mees’ lines (true leukonychia), and the more translucent-appearing lines (short arrow) are called Muehrcke’s lines (apparent leukonychia). Mees’ lines develop as a result of injury to the nail matrix, whereas Muehrcke’s lines are related to abnormal nail-bed vasculature. Therefore, Mees’ lines do not diminish with compression of the nail plate, and Muehrcke’s lines do. Multiple chemotherapy agents are associated with these nail changes. Muehrcke’s lines can also occur in patients with hypoalbuminemia. After six cycles of chemotherapy, the patient had remission of the non-Hodgkin’s lymphoma. Approximately 6 months after the completion of chemotherapy, the fingernail changes resolved completely.

さて懐かしい投稿は今から8年前のものである。ボー線と紹介された。

2010年5月20日木曜日


ボー線:化学療法の強さと間隔が爪に現れる












矢印の時だけシスプラチンが投薬されていないという説明がついていた。


Multiple Beau's Lines

Number 20Volume 362:e63

Images in Clinical Medicine

2018年10月2日火曜日

本庶佑先生のノーベル賞への感慨


本庶佑先生がノーベル賞を受けられた。感慨深いものがあります。これで日本の生理学・医学賞は5名になったが、小生がその研究に馴染み深い方が受賞されたことは実はあまり多くなく、大村先生や大隅先生は直近になるまで知らなかったし、山中先生の例のCellはリアルタイムで知っていたがなんせあのセルから受賞までが極めて短期間であったからまざに疾風のようにあらわれて・・・だった。

やはり利根川先生が感慨深い。すごい研究だと思ったし今でも超弩級の研究成果だと思う。

本庶佑先生は利根川ノーベル賞のころからすでに超一流の研究者だった。その先生が30年後にノーベル賞を取るのだからすごいことなのだ。小生にとっての本庶佑先生は抗体のクラス・スイッチの先生であった。小生が苦労に苦労を重ねて単離したモノクローナル抗体がIgMだったとき、生物学的に活性のあるIgG3にどうにか変換できないかといろんな工夫をしていた時代のことである。P3U1ミエローマに変異原を与えたり放射線をかけたり様々な工夫をしたことを思い起こす。であるから同時代的に本庶、利根川、坂野先生の研究は馴染み深いのである。

本庶佑先生はその延長線上で PD-1 を見出される。発見から性格付け、抗体治療の動物実験から小野薬品との提携。メラノーマでの劇的治療効果とNEJMその後の肺癌治療への展開。素晴らしいお仕事でありまさにノーベル賞にふさわしい。そのノーベル賞のお仕事も彼の多くの一流の研究の一つに過ぎないというのが超弩級なのである。

(1)本庶佑先生の学問的姿勢の一端は次の論争でよくわかると思う。

日本免疫学会 ニュスレターへの2000年9月の寄稿文

”ネットによる公開討論会”独創的研究とは:本庶 佑”

(2)本庶佑先生の生い立ち・来歴はここが詳しい。(とはいえ、この来歴はPD-1以前のいわば旧約聖書に時代のものである。PD-1以前でこれだけ分厚いのだから全貌は推して知るべしであろう。)

生命誌研究館の本庶佑先生のコーナー