2013年5月31日金曜日

デュナーミクとアゴーギク


(1)デュナーミク(Dynamik・ドイツ語)

音楽演奏における音量の強弱表現のこと。ダイナミクスdynamics(英語)。アゴーギクとともに、音楽表現・演奏表現において重要な役割を果たす。
楽譜の表記において音量は、ffフォルティッシモ)、f(フォルテ)、p(ピアノ)、pp(ピアニッシモ)といった略号やcresc.(クレシェンド)、dim.(ディミヌエンド)などの用語を用いて明示的に指示されることが多い。
一方で、記号が譜面に記されなくても微妙な強弱ニュアンスを付けることを要求する曲もある。形式や旋律の様式などから、暗黙的あるいは慣習的に強弱表現を付けることが自明のこととされる場合も多く、このとき楽譜上の強弱記号は省略される(特にバロック~古典派において顕著である)。また、アーティキュレーションの指示としてスラーを用いた場合なども、スラー弧線のつなぐ音符を強→弱、弱→強、弱→強→弱などさまざまな音量変化を付けて演奏するのが通例とされている。このような明示的でないデュナーミクのことを単に「デュナーミク」と呼ぶこともあり、演奏家による個性の差が反映しやすい場面となる。


(2)アゴーギク(Agogik・ドイツ語)

アゴーギクとは、音楽演奏におけるテンポやリズムを意図的に変化させてしまう音楽上の表現方法です。
ディナーミクという「強弱法」との対比として、「速度法」や「緩急法」とも呼ばれています。
音楽に一定のテンポやリズムを早くしたり遅くしたりなど、微妙な変化をつけることによって、表現を豊かに演奏できるので、演奏者にとって重要な表現方法の一つとなっています。
一般的に、同じ速度記号が続く間にこの表現方法が利用されることが多くなっていますが、そのテンポを大幅に変えてしまうと別の音楽となってしまう恐れもあるので、変化はその速度記号の示す範囲を大幅に超えて演奏されることはあまりありません。
特にクラシック音楽の独唱曲でアゴーギクが重視されていていますが、器楽曲においては楽譜上に指示されていないアゴーギクはほとんど認められていません。
デュナーミクは演奏者が自由に演奏できる範囲が大きいのに対して、自由度は低いといえるでしょう。

(3)アーティキュレーション(articulation)

音楽の演奏において、各音の切り方、音や音のつながりなど、演奏上の様々な音楽的表情を表すための記号。




































がんゲノム研究から学んだこと(2):Cell 誌 Eric Landerの総説

Cell 誌 Eric Landerの総説がん:ゲノム研究から学んだことからその(2)である。今回はがんの突然変異概観の項である。前にも触れたchromothripsismicronucleichromoplexyが概説されるのはこの項目である。’kataegisという新しい現象についても紹介がある。’


変異機構について
ゲノム研究情報が爆発的に増加するにしたがい、突然変異がいかに起こるか、従来予想だにしなかったその機序の豊かさが明らかになって来た。おかげでゲノムの安定維持機構と腫瘍発生を司る因子への理解が加速度的に深まってきた。

変異頻度のこと
がんゲノム解析の当初の見積もりでは遺伝子変異の頻度は1メガベースに一回であったが、実際は腫瘍の種類により大いに異なり、小児がんでは1メガベースに0.1回(エキソームだけを対象にした)と少なく、また変異原にさらされることにより発癌するといわれているメラノーマや肺癌ではエキソームに限れば1メガベースごとに100回を越える症例もあるのである。更には遺伝子変異率というのはゲノムの場所・部位によっても大いに異なり、それらは転写と連関した修復機構や複製のタイミングにも支配されていることが明らかにされた。

変異の概観
がんゲノムシークエンスによって個人間でも大きく異なるし、また個人の腫瘍の内部でも変異は異なることが明らかにされてきた。なお突然変異を際立たせるのは外的要因では紫外線照射やタバコであり、内的要因としてはDNA修復機構異常がある。

さて、最近の報告では核酸置換を起こす機構についてはこれまで知られていないパターンが5つほど明らかにされて来た。ER陽性乳癌ではその10%の症例でTpCpXなる三連続塩基配列におけるC>AC>GC>T置換を引き起こす全く新しい機構で変異が起こっていることが明らかにされた。そのうちの一つは2012年のCellに載った論文でkataegisという新しいギリシャ語がキーワードである。ある短い配列に立て続けに変異が入るというもので(具体的には染色体転座の切断点に近い場所では複数の突然変異が高頻度におこる)、具体的にはER陽性乳癌に多い(10%程度)というちなみにKataegisとはにわか雨とか雷雨という意味である。

なおこの現象にはactivation-induced deaminase(AID) 遺伝子とapolipoprotein B mRNA-editing enzyme catalytic polypeptide-like (APOBEC) protein遺伝子ファミリーの両者が関係している。同様の機序で起こるAA塩基対でのA>C置換による突然変異は食道癌でも認められる。

染色体の増減
DNA aneuploidyが昔から知られていた。最近のゲノム研究では長腕・短腕レベルでの増減と局所的なコピー数変化が調べられている。がん細胞では長腕・短腕レベルではおおむね4分の一が変化しているし、局所レベルでは10%のゲノムが変化していると見積もられる。これらの増減からは6-7個の責任遺伝子までは絞り込みは可能であるが、しかしながらこの場所に癌化のドライバー遺伝子が確かに存在するというあきらかな証拠は今のところない。


染色体崩壊(chromothripsismicronucleichromoplexy
がんゲノムプロジェクトで見つかった最も印象的なイベントはクロモスリプシスであろう。骨腫瘍、小児の髄芽腫、神経芽細胞腫に認められる。一本かせいぜい二本の染色体が一挙にバラバラになる。再構成の過程で、欠失や転座などが起こるというイベントである。カタストロフィックな変化と記述されている。

染色体チェーン
前立腺癌では複数の染色体由来の遺伝子が412個のbreak pointで結合し、最終的には一つの輪状構造を作るイベントが明らかになった。これは従来のchromothripsisとは異なる現象である。これらのbreak pointはゲノム上でも比較的緩い構造(開かれた構造)—すなわち転写が活発な場所に多く存在し、前立腺で特有のETS転写因子による転座部位に近い場所が含まれる。このような「輪状構造」が出来る事象をchromoplexyplexyとは紡ぐというギリシャ語)と呼ぶ。

付加的事項
この他のDNA配列異常はDNA複製時のエラーによって起こる。DNA複製時エラーが起こる頻度は髄芽腫ではp53の突然変異に高い相関を示すことが知られている。

新しく見出されたがん遺伝子
がんゲノムプロジェクトについて聞かれる中心的な質問の一つは「新しい癌関連遺伝子は見つかったのか?」ということであり、あるいは「これまで知られていない機能的サブタイプのがん関連遺伝子は見つかったのか?」という事である。現在研究中の内容も多いが、その答えは「イエス」である。初期研究からは細々とした研究が報告されていたが、その流れは一挙にうねりとなり変異が発見された遺伝子は、がんの生理学的プロセスに必要な要素のありとあらゆる領域に及んでいる。新たに認定された遺伝子が古典的な経路に属している場合もあれば、一方で全く新しい、驚くべき領域に絡んでいる遺伝子でありことも多いのだ。これらは代謝、エピジェネティクス、クロマチン関連、スプライシング、蛋白質の安定維持、あるいは細胞分化と広範に及ぶ。

シグナル伝達関連パスウェイ
1980年代から細胞分化や細胞の分裂に関連する重要な遺伝子群が発癌では重要だという認識はあった。Her2,KIT,ABL,RAS,NF1, NF2, MET, PTEN以上のレセプターチロシンキナーゼ群(RTK)のシグナル伝達系、Wnt/b-catenin系のAPCTGF-b系のSMAD2SMAD4等々には変異が知られていた。更に製薬会社が蛋白キナーゼ阻害薬を見いだしたが、その嚆矢はABLKITを阻害するグリベックであり、慢性骨髄性白血病や消化管間質腫瘍にかなりの効果を認める。RTKがきっかけとなり2000年代前半には大規模なゲノムシークエンスが始まった。

数十人規模の数十個の遺伝子解析で手法はサンガーシークエンス法。最初の大ヒットはメラノーマの50%に変異するBRAF、乳癌と大腸癌で25〜30%に変異するPIK3CA、非小細胞肺癌で10〜15%に変異するEGFR、子宮内膜癌の15〜20%に変異するFGFR2、それにMDSにみられるJAK2変異であった。

RAFやMEK阻害薬を含めて多くの分子標的薬剤が開発されたため、がんゲノムシークエンスは更にスケールアップした。その結果これまで知られていなかったパスウエイががんのドライバー遺伝子として名乗りを上げることになった。 そのような遺伝子として乳癌ではMAP3K1やMAP2K4、メラノーマでRAC-1やPREX2、食道癌でELMO1や DOCK2、瀰漫性大B細胞リンパ腫ではMYD88が見出された。注目すべきは膵癌におけるROBO/SLITバスウェイであるが20%以上に変異を認めるこの遺伝子はなんと神経系のアクソン誘導因子としての機能が知られているものである。肺扁平上皮癌では過酸化ストレスに対応するパスウェイが30%以上で変異していることもわかった。

以上の成果は、これまでの仮説立脚型の研究ではなかなか見つけることの出来なかった新しい変異形態なのである。

更に追加すると、DNAマイクロアレイを用いたゲノムレベルのコピー数変化研究でシグナルや細胞生存に関係するパスウェイの増幅が認められた。アポトーシスに抵抗性で細胞の生存に大きく関与することで知られるMCL1, BCL2L1を含むゲノム領域は乳癌、肺癌、大腸癌、メラノーマ、グリオブラストーマ等々多くの癌腫で増幅している。FGFR1領域は肺扁平上皮癌の20%、乳癌の10%で増幅している。CRKL遺伝子領域は肺癌の一部で増幅している。 

以上の成果にも関わらず、最初の大成功薬グリベックほどの薬が臨床に出回っている状況はまだない。キナーゼ遺伝子が高率に変異を起こすような腫瘍はそう多くはないからである。薬剤開発のこの現状はがんゲノム探求の重要性に影を投げかけているかもしれない。



2013年5月30日木曜日

NEJMのイメージから:脳の多発性嚢胞

どうやらsnap diagnosisのようである。当然小生は知らない(あるいは忘れている)。最近日本で話題になった症例では「輸入キムチ」からの感染が数例あるようだ。症状は痙攣である。でCT(あるいはMRI)を撮るとこのような画像である。


Images in Clinical Medicine

Multiple Palpable Cysts

Nguyen De, M.D., Ph.D., and Thanh Hoa Le, D.V.M., Ph.D.
N Engl J Med 2013; 368:2125May 30, 2013DOI: 10.1056/NEJMicm1205125



原因は寄生虫感染症: 有鉤条虫によるものだそうだ。NEJMの症例はベトナム・ハノイからのものだが、薬剤投与で改善したという。有鉤条虫はサナダムシの一種である。数メートルあるという、イメージを喚起したくない生き物である。なおこの症例の表題「palpable」であるが、実はもう一枚写真があり、体表面に無数の皮下腫瘤(実は嚢胞)を認める写真があるのである。輸入キムチというのを、日本で現状どのように対応していいのか判断に悩むが、フランスは輸入禁止(ただし理由はカプサイシンが余りに多いということのようだ)しているとの報道も見た。

2013年5月27日月曜日

がんゲノム研究から学んだこと(1):Cell 誌 Eric Landerの総説

今年の3月Cell誌に載ったEric Landerの総説は素晴らしい論考なので、じっくり読んだが、日本語として残しておくべきだと考えた。そこでこれを訳してみた。数回に分けてnoteしてみたい。

Lessons from the Cancer Genome 
Levi A. Garraway1,2,4 and Eric S. Lander3,4,5,* 

1 Department of Medical Oncology and Center for Cancer Genome Discovery, Dana-Farber Cancer Institute, Boston, MA 02215, USA
2 Department of Medicine, Brigham and Women’s Hospital
3 Department of Systems Biology Harvard Medical School, Boston, MA 02115, USA 4The Broad Institute of Harvard and MIT, Cambridge, MA 02142, USA 5Department of Biology, Massachusetts Institute of Technology, Cambridge, MA 02139, USA

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がんゲノム研究から学んだこと
(1)

  はじめに

100年以上前ボヴェリは染色体の不均一な分離でがんが発生すると述べた。
遺伝子が突然変異を起こしがんの原因になることがわかるまで、それから70年かかった(Stehelin)。1980年代の半ばにはがん遺伝子がん抑制遺伝子が知られるようになり、癌化には数多くの遺伝子変異が関与することが理解されるようになった。1986年ダルベッコは癌関連遺伝子を体系的に探索するにはゲノム全体のシークエンスをやるしかないと喝破したが、その直後1990年にゲノムプロジェクト(HGP)は始まる。ドラフト・シークエンスが2000年に終了し2003年にはHGPはほぼ完成した。

HGPが終了するや直ちに癌の体系的変異遺伝子解析が始まった。英国サンガー研究所と米国ジョンスホプキンス大学がメラノーマと大腸癌で先鞭をつけると、次いでボストンやニューヨークのグループが肺癌から薬剤感受性関連遺伝子変異を発見した。2006年にはヒト癌ゲノムプロジェクトが開始され2009年には癌ゲノムアトラス(TCGA)に引き継がれた。ほぼ同時期に国際癌ゲノムコンソーティアムが創設され15を越える国々が参加している。

さて、癌をゲノムからアプローチする研究方法であるが、癌研究においてこれは必ずしも一般的な方法論ではない。「ヒトがんゲノムプロジェクト:がんとの戦いにおける誤った戦略」なる論文を堂々と発表する論客もいて、古典的な仮説に基づく研究こそが癌研究の王道であり、ゲノムシークエンスのような体系的研究は金もかかれば焦点も絞り切れていないとの主張も相変わらず根強いのである。仮説を作る研究と検証する研究に両者に偏りのない投資をして欲しいとの意見もある。(もっと安価にゲノムシークエンスができるとこの論争にも決着がつくのであるが)。癌関連遺伝子はあらかた発見されつくして今後は新しい候補の発見はないであろうという研究者もいれば、癌はあまりに複雑で体系的研究など夢のまた夢であるというひともいる。

がんゲノムプロジェクトが始まって数年たつが、やってみてその評価、これまでに得られた成果を公表する時期がきている。本レビューを考えた由縁である。また次のステージでやらなければならない内容についても議論してみたい。なお本レビューの足りない点をまさに補強する論文としてStratton2009nature を挙げておきたい。本レビューではがんのゲノム研究により得られた生物学的、発生学的な諸事項と治療に関する洞察を語ろう。そして最後に次への展開について触れたい。

     技術革新について

がんゲノムプロジェクトは当初、今日の目で見れば随分古めかしい技術で行われていた。変異はキャピラリーシークエンサーで見出され、エクソンは一つ一つ増幅され、シークエンスされたのである。染色体コピー数の増減はDNAマイクロアレイで評価された。転座を初めとする染色体の再構成はほとんど研究の対象にもなっていなかった。シークエンスには費用がかかりシークエンス機器も高価なものであったため、シークエンスデータを多数集めることは大変なことであった。当時の研究ではエクソーム解析を一つの癌腫でごく少数例行うのが関の山であった。

大量並行シークエンス法(MPS)の出現は研究を革命的に変化させた。当初実験一回分で一ギガ塩基読んでいたものが、2012年までには600ギガ塩基にスケールアップした。同時並行ですすんだ技術革新としてエクソン配列をbait配列で選択シークエンスする方法も開発された。MPSは一つの技術にすぎないが応用範囲は広くあらゆるゲノム変異に対応出来る。単一遺伝子変異、ゲノムコピー数変化、転座、転写レベルの変異、スプライシング変異の検出、メチレーション、クロマチン構造変異など、ほとんど全てのゲノム変異に対応出来る技術である。

MPSによる最初のがんゲノム報告は2008Leyらによってなされた。細胞遺伝学的には異常を認めないAML患者の全ゲノム解析である(染色体変異を示さないAMLであるから風変わりな白血病である。こんな病態も全ゲノム解析するとAML特有の変異がみつかるという症例報告である)。

最初の報告は一症例報告であったが、ほどなく数百症例解析が標準となってくる。解析コストが劇的に下がったため、データが爆発的に出だしたのである。 2012年までにはMIT Broad研究所だけでも16000以上の症例がゲノムあるいはエクソン解析を施行された。MPSの到来とともに新しい解析技術も必要となってきた。正常とがんが混在したサンプルから正確に変異シークエンスと健常シークエンスを選び抜く技術がまず必要とされた。DNAにせよRNAにせよそれぞれの変異を捕まえるには独自の技術が必要とされた。この技術には単一遺伝子変異、ゲノムコピー数変化、転座、転写レベルの変異、スプライシング変異の検出、メチレーション、クロマチン構造変異が含まれる。多くの症例DNA検索で変異候補が見つかると、正常シークエンスと比較してその蓋然性を検討して変異遺伝子と確定するアルゴリズムが開発された(Meyerson 2010)

正確に変異を検出する技術は驚くほどトリッキーであることも明らかになった。がんの体細胞変異は1Mbに一回くらいの希な頻度でしか起こっていないので、これを間違いなく異常ととらえる為に要求されるシークエンスのバックグラウンドエラー条件は極めて厳しいものとなる。加えて擬陽性の問題がある。シークエンスエラーでありシークエンス解析技術のエラーであり、サンプル中の癌と正常細胞の比率であり、染色体異常(ploidyの問題)であり、がん組織に複数のクローンが存在することも原因となろう。シークエンス深度(同じ配列を何回読むかということ)の回数が増えることにより、特異性も感度もともに上昇してきた。エクソーム解析では100から150回、ゲノムでも30回から60回は読むのが現在の状況であるが、コストさえ許せばゲノムのシークエンス回数をさらに増やせないものかと考えられている。

正確な変異結果を得ることがなによりも大事なステップである。つぎに難しいのはドライバーとパッセンジャーを見分けることである。どの遺伝子が予想されるランダム変異率より高頻度に変異を示すかを見いださなくてはいけない。それがランダム変異であることを認定するには、高度な数学的手法が必要とされるが、これにはバックグラウンドでの個人ゲノムの変異率や、個人間でのがんの変異率、さらにはがんが遺伝的に単純なものかあるいは多クローンなのか、様々な要素を考慮することになる。そのような検討なしにドライバー遺伝子であると報告された遺伝子もあるが、そんなものは嘘っぱちである。解析症例を増やせばいいかというと、あにはからんやそうでもない。難しい。最近の研究報告では、うっかりドライバー遺伝子となりやすい候補遺伝子については警告が記述され、誤りが紛れ込まないように正確を期している。とはいえ、このアルゴリズムも完璧を期す為の研究は現在も着々と進行中である。
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ここまでで3頁分、全体の 1/7である。先は長いのである。

2013年5月18日土曜日

ラヴェル・ソロピアノ全集を公開しているピアニスト

ラヴェル・ソロピアノ全集を公開しているピアニスト

ラヴェルには素敵なソロ・ピアノ曲が多いが、寡作なので全集といってもCD二枚で納まる。新しい全集を聴くのに二時間程度ですむ。一晩一回で全曲通せるというのは、そのピアニストの全てを知るのに丁度手頃である。もともと好きなラヴェルであったが、最近はピアノ、ピアノ、ピアノ。ピアノしか聴かなくなってしまった。CDがずいぶん増えたものだ。

<基本収録曲目>  
・グロテスクなセレナード  ・前奏曲  ・古風なメヌエット  
・ハイドンの名によるメヌエット  ・亡き王女のためのパヴァーヌ   
・高雅で感傷的なワルツ  ・水の戯れ  ・ボロディン風に  
・ソナチネ  ・シャブリエ風に  ・鏡  ・クープランの墓
・夜のガスパール

全集には概ね以上の曲目が収録されている。これにラ・ヴァルスが加わると嬉しいが、そんな全集は余り多くはない。

  1.  ロベール・カザドシュ('51年、SONY CLASSICAL)
  2. ヴァルター・ギーゼキング('54年、EMI CLASSICS) 
  3. ヴェルナー・ハース('64~68年、PHILIPS)
  4. サンソン・フランソワ('66~67年、EMI CLASSICS) 
  5.  モニク・アース('68年、ERATO) 
  6.  ジャック・フェヴリエ('71年、Ades)
  7.  ヴラド・ペルルミュテール('73年、Nimbus) 
  8. ヨン・ダムゴー('73年、Scandinavian Classics) 
  9. パスカル・ロジェ('73~74年、DECCA)
  10. アナトリー・ヴェデルニコフ('76年、Columbia)
  11. ジャン=フィリップ・コラール('76~80年、EMI CLASSICS)
  12. ポール・クロスリー('83年、CRD=Brilliant Classics/1983)(Sony) 
  13. 永井幸恵 ('84年、BIS)
  14. ルイ・ロルティ('88年、CHANDOS)
  15. ドミニク・メルレ('90年、Bayard)
  16. ジャン=イヴ・ティボーデ('91年、DECCA) 
  17. アビー・シモン ('92年、Vox Classical)
  18. グヴェンドリン・モク ('01~02年、MSR/1875年製エラール使用) 
  19. アンジェラ・ヒューイット('01~02年、Hyperion)
  20. ロジェ・ミュラロ(ムラロ)('03年、Accord)
  21. ジョルジュ・プルーデルマッハー('03年、Transart classic)
  22. アンヌ・ケフェレック('92年、EMI) 
  23. ジャン=エフラム・バヴゼ('03年、MDG) 
  24. フィリップ・アントルモン('03年、Cascavelle) 
  25. アレクサンドル・タロウ('03年、Harmonia Mundi)
  26. 野原みどり('03年、アウローラ・クラシカル)
  27. ジョルジュ・プルーデルマッヒャー('03年、)
  28. フィリップ・ビアンコーニ('03年、Lyrinx)
  29. アブデル=ラーマン・エル=バシャ('07年、Octavia Triton)
  30.  アルトゥール・ピッツァーロ('08年、Linn)
  31.  ミケランジェロ・カルボナーラ('08年、Brilliant Classics) 
  32.  スティーヴン・オズボーン('10年、Hyperion) 
  33.  岡本愛子('11年、ALM RECORDS) 
  34.  ミヒャエル・エンドレス('11年、OEHMS Classics) 
小生は以上のうち青字の25セットを所有している。

好きなのはクープランの墓。「クープランの墓」は6曲からなる組曲で、全曲で23〜24分程度。その中でも一曲目のプレリュードは特に好きだ。ピアノ弾きにとっては、最後のトッカータやメヌエットに目が向くようであり、ピアノ難度の高い曲として紹介されるが、ボクは非ピアノ弾きとして、その意見には疑問を感じる。「クープランの墓」でボクの好き嫌いが一番敏感に分かれるのは一番目のプレリュードである。この曲はボクは難しい曲だと思います。一番ピアノ弾きの弾き方の差が現れる曲と思えてならない。この曲を満足に弾ける実力者にはなかなか出会えない。そんな曲だと思うな。それだけに聞き手としては面白くてしょうがない。好きで好きでしょうがない曲になってしまいました。

とにかく好きな曲なのでクープランの墓が聴ければと手に入れたCDは他にもある。
  1. アブデル=ラーマン・エル=バシャ('95年、Octavia Triton)
  2. 永野英樹('01年、Denon)
  3. アレクシス・ワイセンベルグ('76年、ORFEO DOR)
  4. サンソン・フランソワ('57年、EMI  CLASSICS)
  5. 仲道郁代 ('82年、EMI  CLASSICS)
  6. エリック・ハイドシェック ('09年、CASIOPEA)
であるからクープランの墓に限れば29セット持っている。ベスト5を選ぶのはそう難しいことではない。


アビー・シモン ('92年、Vox Classical)
ルイ・ロルティ('88年、CHANDOS) 
アレクサンドル・タロー('03年、Harmonia Mundi)
アブデル=ラーマン・エル=バシャ('95年、Octavia Triton) 
スティーヴン・オズボーン('10年、Hyperion)  

順番は敢えてつけないようにしたい。基本的には好きな曲なので、誰にもいいところがある(と思いたい)。5人以外の多くの方々もみな良いのである。いただけないのはごく数人でしょうな。

最近長年の疑問が氷解した。サンソン・フランソワのことである。皆が良い、素晴らしいという。ボクにはさっぱり良さがわからない。酔っぱらいの、へたくそな演奏だとしか思えなかった。ピアノを弾いたことのないボクに、きっとフランソワはそんなこと言われたくないでしょうが、それでも分かる。へたっぴー。

謎が解けたのは最近YouTubeでフランソワの旧い(58年ころ)のクープランを視聴したからである。いやまあ、びっくりしました。音は動くし、弾き間違えも相変わらず耳につくし、他のピアニストのきちんとしたラヴェルとは大いに違うのだが、でもめちゃくちゃいいのである。フランソワの伝説は50年代頃までのイメージから作られたのね。日本で今売られているCD('66~67年、EMI CLASSICS)は、もう指も頭も耄碌したフランソワの残りかすでしかないのだと思う。

そんなわけで、旧いヴァージョンを探して('57年、EMI  CLASSICS)3枚組 (H25/5発売)を買いました。まさにマニア向けだね。「クープランの墓」と「夜のガスパール」では58年と67年の二組の演奏が入っているし、「スカルボ」にいたっては58年と67年に加え更には47年版と三つも入っている。こんな贅沢なCDをよく出すよね。素敵なハード紙ボックスに入って1389円でした。

もうひとつギーゼキングへの疑問。このピアニストも従来から高い評価であるが、ボクには良さがわからない。彼はラヴェルには向かないのではないかと思うくらいだ。あのテンポの遅さとなんとももどかしい指。ボクの聴いているのは57年版で今から56年も前の録音だが、もっと古くて良いバージョンがあるのかもしれないね。フランソワの例もあるしなあ。


2013年5月11日土曜日

らせん階段:NEJMの最新イメージ

さて最新のNEJMのイメージ画像である。このらせん様の構造はいったいなんであろうか?

  1. 外耳から中耳
  2. 主気管支奇形
  3. 直腸
  4. 食道
  5. 幽門ー十二指腸
  6. ソロモン・R・グッゲンハイム美術館






















小生はこんな病態を知らなかったが、これは食道の機能性病変で「Nutcracker Esophagus」という。あえて日本語に訳すと「くるみ割り食道」ですかな。




Images in Clinical Medicine

Nutcracker Esophagus

Luc Biedermann, M.D., and Oliver Götze, M.D.
N Engl J Med 2013; 368:e25 May 9, 2013

というわけでイメージをいくつかまとめてみた。ひとつ引っかかるのは、なぜに「くるみ割り」 なのかということである。画像イメージは本文中にもあるように「コルクスクリュー」そのものである。いろいろ考えるに、これは「締め付ける機能的な苦しみのイメージ」と見た。マノメトリーでの圧はかなりのもののようだ。痙攣的に締め上げるのであろう。これを称するに「Nutcracker」ということかな。


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2013年5月8日水曜日

内田樹の二つの論考:改憲案について

内田樹さんは、自分の書いた物についてネットでの自由散布を認めている。大事な案件については、「copy-paste」して広くあまねく情報が行き届くことを願っておられると小生は忖度するものである。

今朝の朝日新聞の内田さんの論考に感銘を受けた方は多いと思う。「国民国家の解体」が主題であった。そして憲法である。この二つは補完するテーマであり、ぜひコピーしておきたいと思った。

 内田樹の研究室ブログより勝手にコピー

2013.05.08

改憲案の「新しさ」

ある媒体に長い改憲論を寄稿した。
一般の目に触れることのあまりなさそうな媒体なので、ここに採録しておく。


改憲案の「新しさ」

改憲が政治日程に上ってきている。7月の参院選で自民党が大勝すれば、今秋以降には国内での合意形成めざした議論が始まるだろう。自民党や改憲勢力がいったいこの改定を通じて「何を」実現しようとしているのか、それをこの機会に確認しておきたいと思う。
自民党の改憲草案については、さまざまな批判がすでになされている。個別的な条文ひとつひとつについての適否は専門家による議論に委ねて、私として はこの改憲案に伏流している「新しいものの見方」についてだけ考えてみたいと思う。護憲派の論客の多くは、改憲案の「復古調」に違和感や嫌悪を覚えている ようだが、私はむしろこの改憲案は「新しい」という印象を受けた。その「新しさ」とは何かについて書きたい。
まず、今日本のみならずグローバルなスケールで起きている地殻変動的な「潮目の変化」について抑えておきたい。大づかみに言えば、私たちが立ち合っ ている変動は、グローバル資本主義という「新しい」経済システムと国民国家という「古い」政治システムが利益相反をきたし、国民国家の統治システムそのも のがグローバル資本主義の補完装置に頽落しつつあるプロセスのことである。その流れの中で、「よりグローバル資本主義に親和的な政治勢力」が財界、官僚、 マスメディアに好感され、政治的実力を増大させている。自民党の改憲草案はこの時流に適応すべく起草されたものである。それは言い換えると、この改憲案に は国民国家解体のシナリオが(おそらく起草した人間にも気づかれぬまま)書き込まれているということである。
国民国家という統治システムは政治史的には1648年のウェストファリア条約を起点とする近代の装置である。国境があり、官僚制度があり、常備軍が あり、そこに国籍と帰属意識を持つ「国民」というものがいる。生誕の日付をもつ制度である以上、いずれ賞味期限が切れる。だが、国民国家は擬制的には「無 窮」である。現に、あらゆる国民国家は自国の「年齢」を多めに詐称する傾向がある。日本では戦前まで神武天皇の即位を西暦紀元前660年に遡らせていた。 朝鮮の檀君王倹が王朝を開いたのは紀元前2333年とされる。自国の発祥をできる限り遠い過去に求めるのは国民国家に共通する傾向である。
その構えは未来についても変わらない。国民国家はできれば不死のものでありたいと願っている。中央銀行の発行する紙幣はその国がなくなった日にはゴミにな る。翌日ゴミになることがわかっているものを商品と交換する人はいない。だから、国がなくなる前日において貨幣は無価値である。残り日数を十日、二十日と 延ばしてみても事情は変わらない。だから、国民国家の財政は「いずれ寿命が来る」という事実を隠蔽することによって成立している。

これに対して企業は自己の寿命についてそれほど幻想的ではない。
統計が教えるところでは、株式会社の平均寿命は日本で7年、アメリカで5年である(この数字は今後にさらに短縮されるだろう)。
グーグルにしても、アップルにしても、マイクロソフトにしても、それらの企業が今から10年後にまだ存在しているかどうか、確かな見通しを語れる人はいな い。けれども、そんなことは企業経営者や株主にとっては「どうでもいいこと」である。企業が永続的な組織であるかどうかということは投資家にとっては副次 的なことに過ぎない。
「短期的な利益を追い求めたことで長期的には国益を損なうリスクのあること」に私たちはふつう手を出さないが、この場合の「長期的・短期的」という判定を 実は私たちは自分の生物としての寿命を基準に下している。私たちは「国益」を考えるときには、せめて孫の代まで、三世代百年は視野に収めてそれを衡量して いる。「国家百年の計」という言葉はその消息をよく伝えている。だが、寿命5年の株式会社にとっては「5年の計」が最大限度であり、それ以上先の「長期的 利益」は損益計算の対象外である。

工場が排出する有害物質が長期的には環境に致命的な影響を与えると聞いても、その工場の稼働によって短期的に大きな収益が上げることが見通せるなら 企業は環境汚染をためらわない。それは企業にとっては全く合理的なふるまいなのである。そして、これを倫理的に断罪することは私たちにはできないのであ る。なぜなら、私たちもまた「こんなことを続けると1000年後には環境に破滅的な影響が出る」と言われても、そんな先のことは気にしないからである。グ ローバル資本主義は「寿命が5年の生物」としてことの適否を判定する。国民国家は「寿命100年以上の生物」を基準にして判定する。それだけの違いであ る。
寿命を異にするだけではない。企業と国家のふるまいは、機動性の違いとして端的に現れる。
グローバル企業はボーダーレスな活動体であり、自己利益を最大化するチャンスを求めて、いつでも、どこへでも移動する。得物を追い求める肉食獣のように、 営巣地を変え、狩り場を変える。一方、国民国家は宿命的に土地に縛り付けられ、国民を背負い込んでいる。国家制度は「その場所から移動することができない もの」たちをデフォルトとして、彼らを養い、支え、護るために設計されている。
ボーダーレスに移動を繰り返す機動性の高い個体にとって、国境を越えるごとに度量衡が言語が変わり、通貨が変わり、度量衡が変わり、法律が変わる国民国家 の存在はきわめて不快なバリアーでしかない。できることなら、国境を廃し、言語を統一し、度量衡を統一し、通貨を統合し、法律を統一し、全世界を商品と資 本と人と情報が超高速で行き交うフラットな市場に変えたい。彼らはつよくそう望んでいる。
このような状況下で、機動性の有無は単なる生活習慣や属性の差にとどまらず、ほとんど生物種として違うものを作り出しつつある。
戦争が始まっても、自家用ジェットで逃げ出せる人間は生き延びるが、国境まで徒歩で歩かなければならない人間は殺される。中央銀行が破綻し、国債が暴落す るときも、機動性の高い個体は海外の銀行に預けた外貨をおろし、海外に買い整えておいた家に住み、かねての知友と海外でビジネスを続けることができる。祖 国滅亡さえ機動性の高い個体群にはさしたる金銭上の損害も心理的な喪失感ももたらさない。
そして、今、どの国でも支配層は「機動性の高い個体群」によって占められている。だから、この利益相反は前景化してこない。奇妙な話だが、「国が滅びても 困らない人間たち」が国政の舵を任されているのである。いわば「操船に失敗したせいで船が沈むときにも自分だけは上空に手配しておいたヘリコプターで脱出 できる船長」が船を操舵しているのに似ている。そういう手際のいい人間でなければ指導層に入り込めないようにプロモーション・システムそのものが作り込ま れているのである。とりわけマスメディアは「機動性が高い」という能力に過剰なプラス価値を賦与する傾向にあるので、機動性の多寡が国家内部の深刻な対立 要因になっているという事実そのものをメディアは決して主題化しない。
スタンドアロンで生き、機動性の高い「強い」個体群と、多くの「扶養家族」を抱え、先行きのことを心配しなければならない「弱い」個体群の分離と対立、それが私たちの眼前で進行中の歴史的状況である。

ここでようやく改憲の話になる。
現在の安倍自民党はかつての55年体制のときの自民党と(党名が同じだけで)もはや全くの別物である。かつての自民党は「国民国家内部的」な政党であり、 手段の適否は措いて、日本列島から出られない同胞たちを「どうやって食べさせるか」という政策課題に愚直に取り組んでいた。池田内閣の高度経済成長政策を 立案したエコノミスト下村治はかつて「国民経済」という言葉をこう定義してみせたことがある。

「本当の意味での国民経済とは何であろう。それは、日本で言うと、この日本列島で生活している一億二千万人が、どうやって食べどうやって生きて行く かという問題である。この一億二千万人は日本列島で生活するという運命から逃れることはできない。そういう前提で生きている。中には外国に脱出する者が あっても、それは例外的である。全員がこの四つの島で生涯を過ごす運命にある。
その一億二千万人が、どうやって雇用を確保し、所得水準を上げ、生活の安定を享受するか、これが国民経済である。」(下村治、『日本は悪くない 悪いのはアメリカだ』、文春文庫、2009年、95頁)

いまの自民党議員たちの過半はこの国民経済定義にはもはや同意しないだろう。
「外国に脱出するもの」をもはや現政権は「例外的」とは考えていないからである。今日の「期待される人間像」であるところの「グローバル人材」とは、「日本列島以外のところで生涯を過ごす」ことも社命なら従うと誓言した代償に内定をもらった若者のことだからである。
もう今、「この四つの島から出られないほどに機動性の低い弱い日本人」を扶養したり、保護したりすることは「日本列島でないところでも生きていける強い日 本人」にとってはもはや義務としては観念されていない。むしろ、「弱い日本人」は「強い日本人」がさらに自由かつ効率的に活動できるように持てるものを差 し出すべきだとされる。国民資源は「強い日本人」に集中しなければならない。彼らが国際競争に勝ち残りさえすれば、そこからの「トリクルダウン」の余沢が 「弱い日本人」にも多少は分配されるかも知れないのだから。

改憲案はこの「弱い日本人」についての「どうやって強者に奉仕するのか」を定めた命令である。
人権の尊重を求めず、資源分配に口出しせず、医療や教育の経費は自己負担し、社会福祉には頼らず、劣悪な雇用条件にも耐え、上位者の頥使に従い、一旦緩急 あれば義勇公に報じることを厭わないような人間、それが「弱い日本人」の「強い日本人」に対する奉仕の構えである。これが安倍自民党が改憲を通じて日本国 民に飲み込ませようとしている「新しいルール」である。
少数の上位者に権力・財貨・威信・情報・文化資本が排他的に蓄積される体制を「好ましい」とする発想そのものについて安倍自民党の考え方は旧来の国民国家 の支配層のそれと選ぶところがない。だが、はっきり変わった点がある。それは「弱い同胞」を扶養・支援する「無駄なコスト」を最少化し、「すでに優位にあ るもの」がより有利になるように社会的資源を傾斜配分することを確信犯的にめざしているということである。

自民党の改憲案を「復古」とみなす護憲派の人たちがいるが、それは違うと私は思う。この改憲案は「新しい」。それはTPPによる貿易障壁の廃絶、英語の準公用語化、解雇条件の緩和などの一連の安倍自民党の政策と平仄が合っている。
一言で言えば、改憲を「旗艦」とする自民党政策のねらいは社会の「機動化」(mobilization)である。国民の政治的統合とか、国富の増大とか、 国民文化の洗練とかいう、聞き飽きた種類の惰性的な国家目標をもう掲げていない。改憲の目標は「強い日本人」たちのそのつどの要請に従って即時に自在に改 変できるような「可塑的で流動的な国家システム」の構築である(変幻自在な国家システムについて「構築」という語はあまりに不適当だが)。
国家システムを「基礎づける」とか「うち固める」とかをめざした政治運動はこれまでも左右を問わず存在したが、国家システムを「機動化する」、「ゲル化す る」、「不定形化する」ことによって、個別グローバル企業のそのつどの利益追求に迅速に対応できる「国づくり」(というよりはむしろ「国こわし」)をめざ した政治運動はたぶん政治史上はじめて出現したものである。そして、安倍自民党の改憲案の起草者たちは、彼らが実は政治史上画期的な文言を書き連ねていた ことに気づいていない。

予備的考察ばかりで紙数が尽きかけているが、改憲草案のうち、典型的に「国こわし」の志向が露出している箇所をいくつか示しておきたい。
一つは九条「平和主義」と九条二項「国防軍」である。
現行憲法の平和主義を放棄して、「したいときにいつでも戦争ができる国」に衣替えすることをめざしていることは改憲派の悲願であった。現行憲法下でも、自 衛力の保持と個別的自衛権の発動は主権国家としては当然の権利であると国民の大多数は考えている。だが、改憲派は「それでは足りない」と言う。アメリカの 指揮で、もっと頻繁に戦争に参加するチャンスに恵まれたいと考えているからである。
国民を危険にさらし、国富を蕩尽し、国際社会に有形無形の敵をつくり、高い確率で国内でのテロリズムを招き寄せるような政策が68年の平和と繁栄を基礎づけた平和憲法よりも「望ましい」と判断する根拠はなにか。
改憲派はそれを「国際社会から侮られてきた」屈辱の経験によって説明する。「戦争ができる国」になれば、このいわれなき侮りはかき消え、国際社会からは深 い敬意が示されるだろうと予測しているようだが、これまで日本が軍事的コミットメントをためらうことを不満に思い、しばしば侮言を浴びせてきたのは「国際 社会」ではなく、端的にアメリカである。ヨーロッパにもアジアにも、日本の戦争へのコミットメントが自由化することを歓迎する国はひとつとして存在しな い。改憲派が仮想敵国とみなしている中国や北朝鮮はまさに平和憲法の「おかげで」軍事的反撃のリスクなしに日本を挑発できているわけで、九条二項はいわば 彼らの「命綱」である。日本がそれを廃絶したときに彼らが日本に抱く不信と疑惑がどれほどのものか。改憲派はそれも含めて九条二項の廃絶が「諸外国との友 好関係を増進し、世界の平和と繁栄に貢献する」ことだと考えているようだが、私にはその理路がまったく理解できない。「アメリカとの友好関係を増進し、ア メリカの平和と繁栄に貢献する」ことを日本の存在理由とするというのが改憲の趣旨であるというならよくわかるが。

もう一つは13条。現行憲法の13条はこういう文言である。
「すべて国民は、個人として尊重される。生命、自由及び幸福追求権に対する国民の権利については、公共の福祉に反しない限り、立法その他の国政の上で、最大の尊重を必要とする。」
自民党改憲案はこうだ。「全て国民は、人として尊重される。生命、自由及び幸福追求権に対する国民の権利については、公益及び公の秩序に反しない限り、立法その他の国政の上で、最大に尊重されなければならない。」
自民党案は「公共の福祉」というわかりにくい語を「公益及び公の秩序」というわかりやすい語に置き換えた。
「公共の福祉」は基本的人権を制約することのできる唯一の法的根拠であるから、それが「何を」意味するのかは憲法学上の最大の問題であり、現にいまだ一意的な定義を得ていない。
「公共の福祉」の語源は古くキケロに遡る。「民の安寧は最高の法たるべし(salus populi suprema lex esto)」。
salus populiを英語はpublic welfareと訳し、日本語は「公共の福祉」と訳した。あらゆる法治国家において、すべての法律・制度・政策の適否はそれが「民の安寧」に資するかどう か、それを基準に判定されねばならない。これは統治について久しく万国において受け容れられてきた法理である。
だが、ラテン語salusは「健康、幸運、無事、安全、生存、救助、救済」など深く幅の広い含意を有している。「民の安寧」salus populi は「至高の法」であるが、それが要求するものはあまりに多い。それゆえ、自民党改憲案はこれを「公益及び公的秩序」に縮減した。「公益及び公的秩序」はた しかに「民の安寧」の一部である。だが、全部ではない。統治者が晴れやかに「公益及び公的秩序」は保たれたと宣している当の国で、民の健康が損なわれ、民 の安全が失われ、民の生存が脅かされている例を私たちは歴史上無数に挙げることができる。だが、自民党案はあえて「民の安寧」を廃し、「至高の法」の座を 「公益及び公の秩序」という、統治者がそのつどの自己の都合にあわせて定義を変更できるものに譲り渡した。
先進国の民主主義国家において、自由な市民たちが、強権によらず、自らの意志で、基本的人権の制約の強化と「民の安寧」の語義の矮小化に同意したことは歴 史に前例がない。歴史上前例のないことをあまり気負いなくできるということは、この改憲案の起草者たちが「国家」にも「市民社会」にももはやほとんど興味 を失っていることを意味している。
「民の健康や無事や安全」を配慮していたら、行政制度のスリム化が進まない。医療や教育や社会保障や環境保全に貴重な国家資源を投じていたら、企業の収益 が減殺する。グローバル企業が公害規制の緩和や教育の市場化や医療保険の空洞化や雇用条件の切り下げや第一次産業の再編を求めているなら、仮にそれによっ て国民の一部が一時的にその健康や安全や生存を脅かされることがあるとしても、それはもう自己責任で受け止めてもらうしかないだろう。彼らはそう考えてい る。

改憲案にはこのほかにも現行憲法との興味深い異同が見られる。
最も徴候的なのは第22条である。
「(居住、移転及び職業選択等の自由等)何人も、居住、移転及び職業選択の自由を有する」。これが改憲案である。
どこに興味深い点があるか一読しただけではわからない。でも、現行憲法と比べると重大な変更があることがわかる。現行憲法はこうなっている。
「何人も、公共の福祉に反しない限り、居住、移転及び職業選択の自由を有する。
私が「興味深い」という理由がおわかりになるだろう。
その直前の「表現の自由」を定めた21条と比べると、この改定の突出ぶりがうかがえる。21条、現行憲法ではこうだ。
「集会、結社及び言論、出版その他一切の表現の自由は、これを保証する。」
改憲案はこれに条件を追加した。
「前項の規定に、かかわらず、公益及び公の秩序を害することを目的とした活動を行い、並びにそれを目的として結社をすることは、認められない。」
21条に限らず、「公益及び公の秩序」を保全するためには私権は制約されるべきだというのは自民党改憲案の全体を貫流する基本原則である。それがなぜか 22条だけには適用されていない。適用されていないどころかもともとあった「公共の福祉の反しない限り」という制約条件が解除されているのである。
起草委員たちはここで「居住、移転及び職業選択の自由」については、それが「公益及び公の秩序」と違背するということがありえないと思ったからこそ、この 制約条件を「不要」と判断したのである。つまり、「国内外を転々とし、めまぐるしく職業を変えること」は超法規的によいことだという予断を起草委員たちは 共有していたということである。
現行憲法に存在した「公共の福祉に反しない限り」を削除して、私権を無制約にした箇所は改憲案22条だけである。この何ということもない一条に改憲案のイ デオロギーははしなくも集約的に表現されている。機動性の高い個体は、その自己利益追求行動において、国民国家からいかなる制約も受けるべきではない。こ れが自民党改憲案において突出しているイデオロギー的徴候である。

そういう文脈に置いてみると、九条の改定の意図がはじめてはっきりと了解できる。
改憲案はあきらかに戦争に巻き込まれるリスクを高めることをめざしている。平和憲法下で日本は68年間、九条二項のおかげで戦争にコミットすることを回避できていた。それを廃するというのは、「戦争をしたい」という明確な意思表示に他ならない。
安倍自民党と改憲で共同歩調をとる日本維新の会は、現行憲法をはっきり「占領憲法」と規定し、「日本を孤立と軽蔑の対象におとしめ、絶対平和という非現実的な共同幻想を押し付けた元凶」とした。
感情的な措辞だが、「孤立と軽蔑」というのをいったいどのような事実について述べているのかが私にはわからない。もし、北方領土や中国の領海侵犯や北朝鮮 の恫喝について言っているのだとしたら、これらの問題において日本は別に国際社会では孤立していないし、すぐに軍事的行動をとらないことについて軽蔑され てもいない。北朝鮮の軍事的挑発に耐えているという点で言えば、韓国とアメリカの方が日本以上だと思うが、そのせいで米韓は国際社会で「孤立」しており、 「軽蔑」されていると言う人に私は会ったことがない。
同時に「絶対平和という非現実的な共同幻想」という言葉がどういう現実を指示しているのかもわからない。「絶対平和」などという文言はそもそも日本国憲法 のどこにもない。「日本国民は、恒久の平和を念願し」という言葉はあるが、「念願」している以上、それが非現実であることは誰にでも分かっていることであ る(すでに現実化している事態を「念願」するものはいない)。戦後の歴代政府の憲法解釈も憲法学も国連も、自衛隊と個別的自衛権を違憲として否定してはい ない。「非武装中立」を訴えた政治勢力もかつては存在したが、今はほとんど存在感を持っていない。「絶対平和という非現実な共同幻想」のせいで、日本がど のような損害を蒙っているのか、それを具体的に列挙してもらわなければ話が見えない。
まさか今さら「湾岸戦争のとき世界の笑いものになった」というような定型文を持ち出すわけではないだろうが、もしかするとそれかもしれないので、一言記し ておくが、湾岸戦争のとき日本が世界の笑いものになったのは、日本が巨額の戦費を供出したにもかかわらず当事国から感謝されなかったからである。多国籍軍 の支援を受けたクウェート政府は戦争終了後に、支援各国に感謝決議を出したが、日本の名はそこになかった。しかし、その理由は「国際社会の笑いもの」論者 たちが言うように「金しか出さなかった」からではない。日本が供出した当初援助額1兆2,000 億円のうちクウェートに渡ったのは6億3千万円で、あとは全部アメリカが持っていったからである。仮に国際社会がほんとうに日本を笑ったのだとしたら、そ れは、「国際貢献」という名分でアメリカにいいようにされた日本の外交的愚鈍を笑ったのである。
改憲派のトラウマの起源が湾岸戦争にあるのだとしたら、彼らの悲願はアメリカのするすべての戦争へ同盟国としてフルエントリーすることであろう。そのために戦争をすることへの法制上・国民感情上のハードルが低い国に国を変えたいと彼らは願っている。
現行憲法の下で、世界史上例外的な平和と繁栄を享受してきた国が、あえて改憲して、アメリカにとって「使い勝手のいい」軍事的属国になろうと願うさまを国際社会は「狂気の沙汰」と見なすであろう。
私に反論するのはまことに簡単である。「日本が改憲して『戦争のできる国』になれば、わが国はこれまで侮蔑してきた日本を尊敬し、これまで遠ざけてきた日 本と連帯するだろう」と誓言する国をひとつでもいいから「国際社会」から見つけ出して連れてきてくれれば足りる。そのときはじめて現行憲法が「孤立と軽 蔑」の原因であることが証明される。
それでもこの妄想的な九条廃絶論にもひとつの条理は貫いている。それは「戦争のできる国」になることは、そうでない場合よりも国民国家の解体が加速するということであり、改憲論者はそれを直感し、それを望ましいことだと思っている。
「戦争ができる国」と「戦争ができない国」のどちらが戦乱に巻き込まれるリスクが多いかは足し算ができれば小学生でもわかる。「戦争ができない国」が戦争 に巻き込まれるのは「外国からの侵略」の場合だけだが、「戦争ができる国」はそれに「外国への侵略」が戦争機会として加算される。
「戦争ができるふつうの国」と「戦争ができない変わった国」のどちらに生き残るチャンスが高いか、これも考えればすぐにわかる。「私がいなくなっても私の 代わりはいくらもいる」という場合と、「私がいなくなると『私のようなもの』は世界から消えてしまう」という場合では、圧倒的に後者の方が「生き延びる意 欲」は高いからである。
だから、国民国家の最優先課題が「国民国家として生き延びること」であるなら、その国は「できるだけ戦争をしない国」であること、「できるだけユニークな国」であることを生存戦略として選択するはずである。
だが、安倍自民党はそのような選択を拒んだ。改憲案は「他と同じような」、「戦争を簡単に始められる国」になることをめざしている。それは国民国家として 生き延びることがもはや彼らにとっての最優先課題ではなくなっているということを意味している。漫然と馬齢を重ねるよりはむしろ矢玉の飛び交う修羅場に身 を置いてみたい、自分たちにどれほどのことができるのか、それを満天下に知らしめてやりたい。そんなパセティックな想像の方が彼らを高揚させてくれるので ある。でも、その高揚感は「国民国家が解体するリスク」を賭けのテーブルに置いたことの代償として手に入れたものなのである。「今、ここ」における刹那的 な亢奮や愉悦と「国家百年の存続」はトレードオフできるものではと私たちは考えるが、それは私たちがもう「時代遅れ」な人間になったことを表わしている。 国民国家のような機動性の低い(というか「機動性のない」)システムはもう不要なのである。グローバリストが戦争を好むのは、彼らが例外的に暴力的であっ たり非人道的であったりするからではなく(そういう場合もあるだろうが)戦争をすればするほど国民国家や領域国家という機動性のない擬制の有害性や退嬰性 が際立つからである。安倍自民党は(本人たちには自覚がないが)グローバリストの政党である。彼らが「はやく戦争ができるようになりたい」と願っているの は、国威の発揚や国益の増大が目的だからではない。戦争機会が増大すればするほど、国民国家の解体が早まるからである。惰性的な国民国家の諸制度が溶解し たとき、そこには彼らが夢見る「機動性の高い個体」たちからなる少数集団が圧倒的多数の「機動性の低い個体」を政治的・経済的・文化的に支配する格差社会 が出現する。この格差社会では機動性が最大の人間的価値であるから、支配層といえども固定的・安定的であることは許されない。一代にして巨富を積み、栄耀 栄華をきわめたものが、一朝あけるとホームレスに転落するめまぐるしいジェットコースター的な出世と降位。それが彼らの夢見るウルトラ・モダン社会のとり あえずの素描である。
改憲案がまず96条を標的にすることの理由もここから知れる。改憲派が改定の困難な「硬性憲法」を法律と同じように簡単に改廃できる「軟性憲法」に変更し たいと願うのは、言い換えれば、憲法が「国のあるべきかたち」を恒久的に定めることそれ自体が許しがたいと思っているからである。「国のあるべきかたち」 はそのつどの統治者や市場の都合でどんどん変えればよい。改憲派はそう考えている。
安倍自民党のグローバリスト的な改憲案によって、基本的人権においても、社会福祉においても、雇用の安定の点でも、あきらかに不利を蒙るはずの労働者階層 のうちに改憲の熱心な支持者がいる理由もそこから理解できる。とりあえずこの改憲案は「何一つ安定したものがなく、あらゆる価値が乱高下し、システムがめ まぐるしく変化する社会」の到来を約束しているからである。自分たちがさらに階層下降するリスクを代償にしても、他人が没落するスペクタクルを眺める権利 を手に入れたいと願う人々の陰惨な欲望に改憲運動は心理的な基礎を置いている。
自民党の改憲案は今世界で起きている地殻変動に適応しようとするものである。その点でたぶん起草者たちは主観的には「リアリスト」でいるつもりなのだろ う。けれども、現行憲法が国民国家の「理想」を掲げていたことを「非現実的」として退けたこの改憲案にはもうめざすべき理想がない。誰かが作り出した状況 に適応し続けること、現状を追認し続けること、自分からはいかなるかたちであれ世界標準を提示しないこと、つまり永遠に「後手に回る」ことをこの改憲案は 謳っている。歴史上、さまざまな憲法案が起草されたはずだが、「現実的であること」(つまり、「いかなる理想も持たないこと」)を国是に掲げようとする案 はこれがはじめてだろう。

2013年5月7日火曜日

子宮内膜癌を分子分類で4分類する論文が登場:nature

子宮内膜癌を分子分類で大きく4つに分ける論文が登場した。


Nature497,67–73 (02 May 2013) 
Received 10 December 2012 
Accepted 21 March 2013 
Published online 01 May 2013 

Integrated genomic characterization of endometrial carcinoma
The Cancer Genome Atlas Research Network

An integrative genomic analysis of several hundred endometrial carcinomas shows that a minority of tumour samples carry copy number alterations or TP53 mutations and many contain key cancer-related gene mutations, such as those involved in canonical pathways and chromatin remodelling; a reclassification of endometrial tumours into four distinct types is proposed, which may have an effect on patient treatment regimes.

この手の論文で大事なのは、今後行われるはずのプロスペクティブ研究が容易かどうかということだ。観点は2つあって、

1)解析手段はできるだけ単純な方が良い。乳癌で分子分類を念頭に免疫染色で代行しているのは安価で単純である。

2)今ひとつは、結果の解析・解釈が誰が見ても妥当なこと、あるいは誰にでもできること。
  (乳癌の分子分類の解釈は一般の研究者にはできない。会社に引き取られた検体は会社で検査され、スコア化される)

この二つを兼ね備える検査系を確立することが肝要であるが、実際にはこれがなかなか容易でない。

そこで今回の論文の実験と方法を抜き書きして、参考論文を挙げてみた。

Biospecimens were obtained from 373 patients after Institutional Review Board approved consents. DNA and RNA were co-isolated using a modified AllPrep kit (Qiagen). We used Affymetrix SNP 6.0 microarrays to detect SCNAs in 363 samples and GISTIC analysis to identify recurrent events (37). The exomes of 248 tumours were sequenced to a read-depth of at least x 20. We performed low-pass whole-genome sequencing on 107 tumours to a mean depth of  x 6. Consensus clustering was used to analyse mRNA, miRNA, RPPA and methylation data with methods previously described (38–40). Integrated cross-platform analyses were performed using MEMo, iCluster and PARADIGM (25,31).

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