いまごろ何故ショスタコーヴィッチなのかという話であるが、これにははブルックナーの交響曲全集を聴き込んだことが大きく影響している。ブルックナーを小生好むが、正直なところ聴いたことがあるのは4.7.8.9の4曲だけだった。私の世代では4番「ロマンティック」がスタートである人が多いと思うが、7-9もかなり若い頃良く聴いていた。若い頃それ以外のブルックナーを聴かなかったのは、所詮それくらいのクラッシクファンだったということだろうし、実際仕事が忙しくて音楽から離れてそのままになったということ。
最近クラシックに戻ったのだが、聴く曲は昔の「自分のクラッシク領土」 の範囲をなかなか超えない。つまり新しい曲(シンフォニーは長いので、特に)を開拓していくのはしんどい。ブルックナーを開拓していくのはきっとしんどい。でも愉しいかも・・・ブルックナーのような長大なシンフォニーでは大人買いができるようになったのも大きい。小生が今回のために買ったのはギュンター・ヴァントの全集でHMVで2700円少々であった。CD9枚組であるが昔の一曲よりもずっと安価である。なんでこんなに安いのか!
そして一番から順番に聞いていったのだが、まったくしっくりくる。一番はそれほどピンとこなかったがまず2番にはまってしまった。初聴で次にはまったのは6番。5番と3番はイマイチかなと思っていたが、今では浅はかだったと思う。悪くない、5番と3番も。聴いていてまったくストレスがない。一番をもう一度聴こうとはなかなかならないが、それ以外の曲はいつでもOKである。
正直に書くがこの時期他の新曲も聴いたのだ。たとえばドボルザークの8番やハイドンのいくつかの交響曲であるが、これらはボクには合わないことがわかった。最後まで気力が保たない。非常に不幸せな出会いで終わってしまった。
一般にあまり人気がないブルックナーの若い番号の交響曲が自分には新鮮な発見だったことが、ショスタコーヴィッチに繋がる。
次はショスタコを全部聴いてみよう!(ちなみに小生はこれまで5番しか聴いたことがない。その5番なら新旧のバーンスタインとムラヴィンスキーを持っているが・・・) 知人にそのことを告げると「ボクなら寝てしまうと思う。5番しか聴かないからなあ」そうであろう。が、そうであろうか?
バルシャイを買った。11枚で4300円くらい。
ここのところショスタコしか聴かない日々である。6, 7, 8, 9, 10, 11, 15を聴き終わった。感想は一言で「複雑ではあるけど、少なくとも眠くはならない。興味津々である。」
一般的な交響曲のスタイルを保ったものとしては7、8、10が良い。
8番の第1楽章など限りなく暗いのだが、この楽章を二回聴いた今、もう手放せなくなりそうだよ。7番も立派な曲である。15番の第1楽章にはロッシーニのウイリアム・テルが何回も登場する。面白いが実に不気味である。とにかくこれなら全曲聴くのが愉しみになってきた。
ショスタコーヴィッチの交響曲を扱ったネット・ページはブルックナー同様結構あるのだが、面白いことに皆さんの好みの推薦の曲がバラバラなのである。力を込めて皆さん自己主張しているのが面白うございます。ブルックナーだとここまでばらつかない(だいたい3、5,7,8,9になるようだ)
以下、ショスタコーヴィッチの交響曲を扱ったネット・ページ。
I. ショスタコーヴィチ交響曲ベスト8!!
ショスタコーヴィチの交響曲は全15曲あるが、その中でも特にすばらしく、みなさんにぜひ聴いてもらいたいものを8曲厳選し、例によってそれぞれのベスト3~5を選んでみた。ちなみに8曲の根拠は15曲の半分が7.5曲なのでそれを四捨五入してみました」とのことでした。
II, 作曲家別交響曲ランキング
III. こんなオススメもある。
単に私の個人的な好みとしては,4,8,10,11番です。(重いのが好きなので,笑)
IV. クラシック音楽 一口感想メモ
1. 交響曲第1番 ヘ短調 作品10 (1925年)
◦ 3.5点
- 19歳の作品で、音に純朴さはあるがセンス抜群で非常によい。後年のひねくれたセンスや国家的なものとの戦いの要素がまだなく、精神的深さは無いものの彼の音感が原石として現れており、それが素晴らしい。
2. 交響曲第2番 ロ長調 作品14 「十月革命に捧ぐ」 (1927年)
◦ 3.5点
- 前衛的な一楽章もの。短くて聴きやすい。ウルトラ対位法の部分はもの凄く面白い。だが最後の暑苦しい合唱はいやになる。1番ほどの感動は無いが、音楽としての充実と楽しさは上である。
3. 交響曲第3番 変ホ長調 作品20 「メーデー」 (1929年)
◦ 3.5点
- 後年のショスタコらしさがかなり現れている。後年に見られる同じ音型を一定時間繰り返すことをせず、きびきびと次に展開していくのが非常に好印象でかなり良い。内容が濃い。
◦ 3.5点
- 1楽章はマーラー的なスケールの巨大な音楽。展開部の超高速のフーガは狂気にも程がある。マーラーのようなオーケストラの酷使と、ゴツゴツした 荒さと、素材の乱暴な扱いによる取っつきにくさが魅力。2楽章もスケルツォも3楽章も同様の印象である。5番以降のように器用に整理されておらず、生々し い、未整理の"音のるつぼ"であるのが大きな魅力であると同時に、聞きにくく分かりにくい欠点にもなっている。
5. 交響曲第5番 ニ短調 作品47 (1937年)
◦ 5.5点
- 純音楽的に優れているという点ではショスタコーヴィチの最高傑作だと思う。特に1楽章と3楽章は非常に出来がよい。他の交響曲の深い精神世界を知ってしまったファンは、この曲を浅く感じるので最高傑作と呼ばないかもしれないが、初心者にはやはり真っ先にお勧めしたい。
6. 交響曲第6番 ロ短調 作品54 (1939年)
◦ 4.0点
- 1楽章はマーラーのようなゆったりした時間の流れで、大河的な巨大なスケールで叙情的に沈鬱な表情で世界の悲劇を嘆くような、非常に秀逸な楽 章。2楽章は1楽章を受けた軽くて気分転換できる良い曲。3楽章は表面的な音楽でいまいちなように感じられるが、裏に皮肉や偽善を隠しているのに着目する と天才的と感じる曲。
7. 交響曲第7番 ハ長調 作品60 (1941年)
◦ 4.5点
- 派手にドンチャン騒ぎする曲。確かに浅い。壮大な愚作という評価はしっくりくくるものだけれど、大河的、国家的な壮大さを表現できており、やはりよい曲といえるだろう。特に1楽章真ん中の部分や、3楽章は優れていると思う。
8. 交響曲第8番 ハ短調 作品65 (1943年)
◦ 4.0点
- 純音楽的にはすこし冗長さが感じられたり響きの多様性や発想力が5番より劣る気がするが、精神的な深さとドラマ性では上回る。
9. 交響曲第9番 変ホ長調 作品70 (1945年)
◦ 3.0点
- この曲は第九なのにスケールが小さく肩すかしを食わせた曲として有名だが、自分は率直に言ってどう聴いたら良いのかよく判らない。いつもの精神的重さが無いが、それを代替する何かがあるかというと、センスが特別に良いとは思わないし、思い当たらない。交響曲と呼ぶに足るものが足りない気がする。 交響的な組曲を聴く位の気分で気軽に接するのが正解だろうか。一応後半は何故かいつもの交響曲らしさを少しみせたりするが。
◦ 4.0点
- 古典的な均整の取れた4楽章制であり、内容も正統派の力作。古典性を備えた交響曲としては最後の作品集。8年経ち久しぶりの交響曲として気分一 新で書いた事が伺える。スターリン時代の人々の苦悩や暴力が国家的なスケール感をもって見事に描かれているし、表面的な表情の裏では別のことを考えていそ うな多義性もある。ただ、ショスタコーヴィチが狙っているその通りに音楽が進みすぎるような、作り物っぽさをどこかに感じる。
◦ 3.5点
- キリキリと音楽のテンションを高めたり沈鬱な音を鳴らして精神的なものを表現する感じが薄い、描写的な音楽。映画に使えそう。描写的なので音楽として楽しく聴ける。異常なテンションの高さが現れないので長い曲だが聴いていて疲れずまったり楽しめてよい。
12. 交響曲第12番 ニ短調 作品112 「1917年」 (1961年)
◦ 2.5点
- 13番と共通するエグい音が散見される。あまり精神的な深い世界を描いていない描写的な交響曲だが、同じように扱われる11番ほど音の密度が濃くなく説得力がない。音だけではよく分からず曲の世界にのめり込めない。
◦ 3.8点
- 全5楽章。バスの独唱と合唱のみであり、特に読経しているかのような単一声部の男声が暑苦しくも凄い迫力で印象的。大河的で圧倒的に巨大で骨太 な音楽であり、歴史の闇を生々しく描き真正面から告発するような内容である。オーケストラは低音を使いドーンとかグワーンと鳴らされるのが、読経のような 合唱とあいまって東洋的に感じる。異様な迫力と生々しさと巨大さは4番と並ぶ。最大限に深刻な1時間の音楽を緩みなく作りきった精神力は感服するが、純粋 に音楽として評価すると、曲の雰囲気があまり変わらず、楽想のバラエティーの豊さはショスタコービチの交響曲の中で一番少ないと思うため、力作だが名曲と いうには少し足りない。
◦ 3.5点
- 全11楽章の歌曲の交響曲。晩年の不思議な美しさが顔を見せている。13番同様に力作である。マーラーの大地の歌同様に体裁は交響曲ではないが 内容の充実と有機的なテーマの関連性とつながりがあるので交響曲と呼ばれることに違和感は無い。久しぶりに歴史や国家から離れて個人の世界がテーマになっ た曲。バラエティーと変化に富むので聴きやすい。
15. 交響曲第15番 イ長調 作品141 (1971年)
◦ 3.0点
- 様々な楽曲の引用で彩られたショスタコ流の人生回顧曲。ここでも歴史や国家のテーマは感じられない。曲の不思議な明るさと無邪気さには童心回帰を感じる。 後半は音が薄く虚無感がある。謎めいた夢の中に帰るような終わり方は素晴らしい。しかし全体としては名曲とかの類ではないと思う。
V. 最後に指揮者井上道義のコメント
(1)アヴァンギャルドの時代 交響曲第1番~第3番
【交響曲第1番ヘ短調作品10】 2007.11.3.sat 17:00~
- [ショスタコーヴィチの全ての爆発を確認する]19歳の、すでにそれまで4年間家族の経済を支えてきたしっかりした少年の模範的卒業作品。しかし、ここそこに彼の才能の爆発、以後の彼自身の心の支えになる独自の響き、形、性格が隠れている。彼は天才だが遅咲きのほう、ピアノを始めたのは9歳なのだ。あなたの息子も、今からでも遅くないかも。
- [集団の中で住む場所を探す]曲の後半サイレンが鳴るまでは、まるでフォービズム、ある時代のピカソのよう。午後の授業のベルを聞くまでに遊ぶ奔放な少年の心の中を見るようだ。人は、集団に入ればその中で自分の住む場所を見つけねばならない、どちらも人間の存在の表裏を形づくる世界だ。強制とか自由とかの問題ではない。
- [ハプニングアートの時代を30年先取り]音の抽象画を狙ったと思える形式のはっきりしない作曲法、見方によってはオノ・ヨーコなどのハプニングアートの時代を30年先取りか。言語が音楽に突然社会的実用品として割り込み、「レーニン」と叫ぶ。聴くほうも演奏するほうもプライバシー侵害を感じるような違和感。今で言えばテレビコマーシャルの割り込みといえそうな終結部。
(2)批判との闘い 交響曲第4番~第6番
【交響曲第4番 ハ短調 作品43】 2007.12.1.sat 17:00~
- [正真正銘大傑作!]正真正銘大傑作。これを書いた後ショスタコーヴィチが粛清されても彼は永遠に名を残しただろう。しかし上手く生きてくれてよかった。 ここに彼の全てがあり、誰もなしえなかった交響曲の巨大な20世紀のモニュメントだ。男の音世界はこれだ。誰だ! クラシックは、女子供のすることだと言ったり、私はクラシック音楽がわかりませんとか言う腰抜けは?
- [抽象画家の描いた肖像画]私事ですが長年、振りたくなかった作品です。10代のころ日比谷公会堂でひどい演奏を聴いてしまったからか、或いはほとんどの指揮者が、終楽章で乱痴気騒ぎをするばかりだったからかもしれない。でもあるとき楽譜を真面目に見てから考えが変わった。誰にでも判りやすい形式で、繰り返しの多い古典的方法で、自分の音楽を型にはめてみたのだ。すでに売れている抽象画家なのに街角で町の人々の肖像画を書いたようなもの。そしたら黒山の人だかりになったのだった。
- [ショスタコーヴィチの「田園交響曲」]「大袈裟」が嫌いな人はまずショスタコは6番から聴けば良い。ベートーベンの田園とは違うが、平和な曲だ。日比谷で聴いて公園散歩…ソヴィエト時代のロシアに生まれなくて良かったとか思って…ふふふ、幸福ですか?
(3)戦争の時代 交響曲第7番~第9番
【交響曲第7番 ハ長調 作品60 「レニングラード」】 2007.11.10.sat 17:00~
- [オフザケと狂気は全く逆を向いている]私がショスタコに真に「はまった」のはこの第1楽章を「フザケタボレロ…」と思った20年前。一昨日の感じです。オフザケと狂気は全く逆を向いていることを知った。父や母が戦争の話をしたがらないわけもわかり始めた頃だ。人間は弱く、知らないうちに少しずつ狂気=戦争というに蝕まれるのだろう。心せよ!!7番が初演された頃、レニングラードでは都市封鎖で毎日3000人が死に、飲む水も十分になかった。日比谷公会堂では大本営発表を信じていた人々が、クラシックコンサートに通い2日に1回は行われていた。アメリカ生まれの私の育ての父は英語に堪能であるというだけで日本ではスパイ扱い。耐えられずフィリピンに移住、母も(いわく、「あこがれの軍艦!」に守られ)船で彼の後を追った頃だ。数年後、日比谷公会堂は米軍による空襲での遺体置き場となる。
- [本当の芸術は材料なぞ何でも良い]戦争交響曲とも言われる。本当の芸術は材料なぞ何でも良いのだ,材料そのものを表現したって芸術とはいえないのだから。その逆も真なりだがね。どんな戦いの中にも素晴らしい興奮と生きる現実の喜びが人に与えられているではないか。ふふふ。
- [人民の期待?を軽くうっちゃる喜び]楽しい、面白い、ユーモアがある、やさしい、でも崩れない品位があり、交響曲1番のようでもあり、まるでハイドンのシンフォニーのようで、演奏者も楽しめる。サッカーの好きなショスタコ、意外と恋愛も多かったショスタコの、確信犯的なおもちゃの兵隊のような凱旋フィナーレ、人民の期待?を軽くうっちゃる喜び=ショスタコの真骨頂。ははは。
(4)体制の中から 交響曲第10番~第13番
【交響曲第10番 ホ短調 作品93】 2007.11.11.sun 15:00~
- [誰が自分を完全に説明できますか?]彼は作曲界の長嶋、イチロー、松井。人は彼を材料に色々書き、言う。しかし彼は彼の心と頭から出る音形を楽譜に書きとめようとしているだけで、彼自身にだってその出所がわからない事だってあるのだから。誰が自分を完全に説明できますか?
- [凍るようなロシアの長編小説]良い演奏ならばこの曲はまるで時間を越えて凍るようなロシアの長編小説、長編歴史映画を見るような音絵巻だ。交響曲の世界は素晴らしい。殺されることなく2つの革命(第12番とともに)を経験できるのだから…。平和の時代に生きる事への罪の感覚が芽生えさえするのが恐ろしい。
- [何が起こっても何も変わらない「世界」]この曲の中に音楽の流れをせき止める音が数回出てくるが、何の関係もない音形なのでロシア語の堪能な一柳さんに聞いてみた。数日して「スターリン」と読めると聞いた。なるほど! 彼が出てくればすべては止まる。息の根が止められる。最終楽章は革命の後の「何も変わらない黄昏のような朝焼け」さ。それは我々も知っている。政権が変わっても首相が代わっても何も変わらない「世界」を。でも誰にでも希望は与えられている。この曲が15曲の中で一番出来が悪いという人が多いらしい。本当か?まあ聴いてください。
- [イソップ的世界からの鉄槌]名曲! ロシア語の詩は字幕で出します。飛んで跳ねるイソップの世界に身を隠し、ユダヤ人差別を、身近なこととして偽善的な庶民へも突きつける内容。日本にも差別はあるがそれをここまで赤裸々に音楽化しようとした勇気ある作曲家はいない。彼はそれをあのソヴィエトの中でやった真の命知らず。その上ムラヴィンスキー独裁の頃のレニングラードフィルハーモニーの団員はその事実を公に出来なかったがユダヤ人がとても多かったのだから・・・・・暴走族や町の落ガキ達に聞かせたい。
(5)終の境地 交響曲第14番、第15番
【交響曲第14番 ト短調 作品135】 2007.11.18.sun 15:00~
- [死とは生きること]宗教、神による癒しも拒否し、安心も捨てて、死と対峙するとは自信に満ちたショスタコも行き着くところまで極まっている。死とは生きること。死がなければ生はないのだから。ローレライの魔女は自分に魅入られて死んだ。人は何によって生かされ何によって死ぬか? それを見つければその人の一生は完全だ。人にとって当の自分の人生以外に価値あるものは何だろうか? 答えは? 愛とか言うのですか?
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[名曲は、いかようにも変貌するもの]この曲は指揮者によってどのようにも変貌する。名曲とはそんなもの。怖い。愛する?新日フィルと心中。
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