看護学校での講義
前任者から急に引き継いで(8月に依頼を受けた)9月〜10月と看護学校で講義をすることになった。講義のテーマは「外科学」ではない。ましてや「分子生物学」でもない。「癌」の授業でもない。
「統合医療論」というのをやりなさいというのである。教科書と前任者の作ったパワーポイントファイルを7回分渡された。この教科書というのが、全くもって面白くないのだ。「統合医療論」とはいったい何なんだろう?いろいろ考えているうちに、最初の授業がやってきた。
第一章は「医の心であり看護の心」ときた。こんなテーマで90分も授業できるようには私の頭は出来ていない。で、飛ばした。「第一章は最後の日にやりましょう。今の私には無理だ」と学生に告げた。第二章は医学の歴史である。これは得意である。オーディオビジュアルにスライドを原型をとどめないくらい作り直して講義したところ、かなり受けた。これに自信をつけて、その後の授業を試みたが、どうも上手くいかない。「面白くないねえ」と講師に言われる学生も可哀想であるが、しょうがない。このあたりで腹をくくった。
医療とはなにか?健康とはなにか?救急医療、我が国の疾病構造の変化、老齢医療、在宅医療、地域医療、ホスピス医療、我が国の医療制度、その変遷。今後の医療に求められるもの。今後の医療を予測して、整えておかなければならない医療制度とは?最新医療の紹介。
こんなのが羅列してあるのが「統合医療論」の教科書である。今の年齢で今の立場の私には「大事なこと」が列挙してあるとわからなくもないが、18歳くらいの娘達に(60人くらいの教室だが、不思議なことに男子学生がいない)、こんな話は難しい。教科書をそのまま伝えると、限りなくむなしい講義になる。すなわち寝てしまうのだ。眠られるくらいなら講義は中止だ。オレは帰るといいたい。でもそんな訳にはいかない。
そこで教科書を無視することにした。いや教科書には触れるのだが、きっかけだけだ。あとは好き勝手に講義を作った。
表テーマは教科書の章であるが、隠れテーマを織り込むことにした。
「貴女たちが疲れることなく魑魅魍魎の医療世界を生き抜いていくための智恵」
「どうせ生きていくのなら、楽しく生きていかなくてはいけない」
「癒やすのだったら、同じくらい癒やされなさい」
「鬱に陥らないための予防戦略」
「健康感覚(自分自身のである)を失わないための工夫」
要は「折角この商売を選んでくれたのだから、生涯仕事をまっとうしてね」と言いたかったのである。
ついでに「卒業の折は、ぜひ我が社に就職してね」とのメッセージも常に振りまいた。
こんな事ばかり話していたような気がする。毎回スライドを作る(ほぼ作り直していた)のは時間と手間がかかるのだった(ブログなど書けないよ)。それでも3割くらいの学生は寝ていたが、起きている学生の反応は悪くなかった。質問すれば(非常にしばしば、いきなり質問をしていたのだ。)まあ、ちゃんと答える。答えようとしてくれる。
最後の授業が昨日であった。気合いを入れて「第一章」をしゃべった。Youtubeから映画や小説を紹介したりいろいろやってみた。自分で言うのもなんなんだが、面白かった。「申し訳ないが、君たちは実験台であった。色々やってみて、少しは講義をする自信がついてきた。来年はおそらく良い授業ができると思う。ご協力ありがとう。」と言って授業を終えた。
あのきらきらした綺麗な(最後に気が付いたが綺麗な子が多かったような)娘たちが、いきいきと看護師をしている姿を想像すると楽しみだ。