夜のガスパール〜アロイジェス・ベルトランによるピアノのための3つの音詩
"Gaspard de la nuit - 3 poemes pour piano d'apres Aloysius Bertrand"
引用元は「ふみぽんさんのホームページより」ほぼ全面的に・・・・
貧困と病のため34才の若さでこの世を去った、異色の詩人、アロイジェス・ベルトラン(Aloysius Bertrand)がただ一巻残した遺作「夜のガスパール」をモチーフとした、ラベルの作品中最大の難曲であると同時に最高傑作のひとつでもある。
ラヴェル自身、技巧派のピアニストであったため、当時難曲の代表とされていたバラキエフ作曲の「イスラメイ」を名指して、これよりも難しいピアノ曲 を書くと宣言した後に、実際にこの「夜のガスパール」(フランス語の発音では正しくは「ギャスパール」というのが正しいらしい)を発表した。これらの曲を 弾きこなすためには超絶的な名人芸が要求され、プロのピアニストの間でも「一生の課題」として練習に励む人も実際にいるらしい。
1.水の精"Ondine"
ラヴェルのピアノ曲の中で「難曲中の難曲」とされるが、まず最初にこの楽譜を見たときに、あまりの音符の多さと細かさに圧倒される。しかも素早くピ アニッシモで多くの音を跳躍しながら押さえ、その音の集合から旋律を浮かび上がらせるのは至難の業である(ちなみに私は16小節あたりで筋肉痛となり、そ れ以上弾くことができない)。ちゃんとしたプロの演奏家が弾いた演奏を聴いた後、この楽譜を実際に読んで弾いてみると、その異様な難しさを実感できるであ ろう。
※おすすめは、横山幸雄氏(「イマージュ」に収録)、小山美稚恵女史(「ラヴェル・ピアノ作品集」に収録)の演奏か(CDの入手はいまでも比較的容 易)。
(ベルトランの詩より引用、以下2,3でも同様)
・・・私は眠っている間に、朧ろげに音楽を聞いているように思った。私のそばで、やさしく悲しげな声が囁くように歌っていた(Ch.ブリュノー:二人の妖 精)。
「ねえ、きいて!わたしよ。オンディーヌよ。陰鬱な月の光に照らされたあなたの菱形の窓を、水のしずくでそっとさわって鳴らしているのは。そうして いま、お城の奥方は、波もようの衣装をまとい、露台に出て、星をちりばめた美しい夜と、静かに眠る湖をじっつみつめていらっしゃる。/波のひとつひとつ が、流れのなかを泳ぐオンディーヌなの。流れのひとつひとつが、わたしのお城へとうねっていく小径なの。そうしてわたしのお城は、水でできている。湖の底 に、火と土と空気の三角形のなかに。/ねえ、きいて!わたしの父さまは、緑の榛木(はんのき)の枝でじゃぶじゃぶ水を叩くの。姉さまたちは泡の腕(かい な)で、みずみずしい牧草や睡蓮や、あやめの茂る島々を愛撫したり、ひげを垂らして魚釣りをしているしおれた柳をからかったりするわ。」/つぶやくような 彼女の歌は、私にねだった、オンディーヌの夫となるためにその指輪を私の指に受けよと。そして、彼女とともにその城にきて、湖の王となるようにと。/そし て、私は人間の女を愛していると答えたら、彼女はすね、くやしがり、しばらく泣いてから、ふと笑い声を立て、にわか雨となって、私の青い窓ガラスをつたっ て白く流れて消えてしまった。
2.絞首台"Le gibet"
終始一貫してなり続ける変ロ音で有名な曲。絞首台にぶら下がった囚人の死骸が夕日に照らされる不気味な光景を聴覚的に表現した、なんとも薄気味悪い 曲。この曲も「鏡」の「鐘の谷」と同様、12小節目から3段譜となり、持続低音が込み入った旋律、和声進行の中に絡み合う。
(ベルトランの詩より)
・・・この絞首台の周りを憑かれたようにぐるぐる回って、俺は何を見ようってのか(ファウスト)。
ああ!私に聞こえるもの。あれはひゅうひゅう鳴る夜の北風か。それとも絞首台の枝木の上で吐息をもらす死人(しびと)か。/あれは、森が憐れんで足 もとにやしなっている苔と、実らぬ蔦の中に、うずくまって歌うこおろぎか。/獲物をあさるはえが、もう聞こえぬその耳のまわりで、合図のファンファーレの 角笛を吹いているのか。/不規則に飛びまわって、かれの禿げた頭蓋骨から血のしたたる髪の毛をむしっているこがね虫か。/それとも、締められたその首にネ クタイをしようと半端のモスリンに刺繍をしている蜘蛛か。/あれは、地平線のかげの町の城壁で鳴る鐘の音。そして、沈む夕日が真っ赤に染める絞首刑囚のむ くろ。
3.スカルボ"Scarbo"
スカルボとは「身体の太った地の精」であり、不気味な夜を象徴する「阿呆」であり「侏儒」である。「夜な夜な、人足途絶えた街なかをうろつく阿呆」 は「片方の目で月を見上げ、もう一つの目は−潰れている」怪奇な小悪魔であり、変幻自在な妖精である。
この曲は大変複雑な構成(11部分に分けられる)で、主として3つの主題から派生するバリエーションの組み合わせから成り立つ。
「ラヴェルの超絶技巧作品」と呼ばれる難曲である。
以前にNHKの番組で、ウラジミール・アシュケナージが子供たちに音楽を教える内容のシリーズ作が放映され、実際にご覧になった人もいると思われる が、その中でアシュケナージがピアノに座り、子供たちの前で「いとも易々と「スカルボ」を弾いていた光景が、いまだに私の記憶に強く焼き付いている。
(ベルトランの詩より)
・・・奴はベッドの下、煙突の下、戸棚の中にいるみたいだったのに−誰もそこにはいない。奴はどうやって入り込み、また抜け出たのか、自分でも判っちゃい ないのさ(ホフマン:夜の小話)。
おお、いくたび私は聞き、そして見たことだろう、スカルボを。月が真夜中の空に、金の蜜蜂をちりばめた紺碧の旗の上の、銀の楯のように光るとのとき に。/いくたび私は聞いただろう、私の寝床のある隅の暗がりのなかで騒々しく笑うのを。そして私の寝床のとばりの絹の上でその爪をきりませるのを。/いく たび私は見ただろう、天井から飛び降りて、魔女の紡錘竿(つむぎざお)からころがり落ちた紡錘(つむ)のように、部屋中をつま先立ってくるくるまわり、転 げまわるのを!/あれ、消えた?と思ったら、小鬼は、月と私の間で大きくなりだした。ゴティックの大寺院の鐘楼みたいに!とんがり帽子には金の鈴が揺れ て。/でもすぐにかれの身体は蒼ざめ、ろうそくの蝋のように透きとおった。かれの顔は燃え残りのろうそくのようにうす暗くなった−そして突然、かれは消え た。
(以上、ベルトランの詩は、H.ジュルダン=モランジュ著「ラヴェルと私たち」安川加寿子・嘉乃海隆子共訳より))
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