2010年10月29日金曜日

1000人プロジェクト(3):興味あるデータ

読み進めるにつれだんだん面白くなってくる部分もある。

  • アブストラクトにいわく:一人のゲノムの蛋白コード遺伝子変異がかなりあると・・・・。そのうちわけ
  1.  190〜200遺伝子はフレーム内でのindel(枠は崩れない)
  2. 80〜100遺伝子 は新たなストップ・コドン(要するにpremature stop)
  3. 40〜50遺伝子はスプライス・サイトの破壊
  4. 220〜250遺伝子は読枠のずれる塩基欠失
  • 変異が起こりやすい場所:HLAの遺伝子群の周辺(6番染色体)
  • 変異が起こりにくい場所:3p21の5-Mbは極めてよく保存されている
  • indelはこれまでの評価より遥かに多く存在する
  • ミトコンドリアのheteroplasmyについて:79%のヒトにheteroplasmyが認められた・・とあるが、小生の認識では全員にあるのではheteroplasmy??
  • Y染色体のhaplogroupが12あると記述されるが、正直正確には把握できない。

1000ゲノムプロジェクト:日本人のデータは多いのに・・

昨日の1000ゲノムプロジェクトではいくつかの人種がゲノム・シークエンスの対象となっている。ここで使われているDNAソースはHapMapとある程度共通しているのか、略号が同じである。最近ではこの略号が当たり前に使われているが、備忘のために詳細を述べておこう。というかNIHに説明があるのを翻訳してくれているページがあるので備忘しておく。

人種の略号

* Yoruba in Ibadan, Nigeria (abbreviation: YRI)
* Japanese in Tokyo, Japan (abbreviation: JPT)
* Han Chinese in Beijing, China (abbreviation: CHB)
* CEPH (Utah residents with ancestry from northern and western Europe) (abbreviation: CEU)


東京日本人とはハップマップで採取される時に(ICは当然取られているだろう)両方の祖父母が日本人であることを条件としたらしい。日本人の場合、これ以上の条件を付けても正確にはならないだろう。日本人なら過去1000年(という極めて短い期間をとっても)そのどこかで半島・大陸系のDNAが混じているのは避けられないから。

今回の解析にも東京日本人のサンプルが105人分使われている。7種類の人種の中では実は解析数は最も多い。ヨーロッパ由来ユタ在住者でも90人なのだ。しかし、この論文の著者としてー700人以上の著者が掲載されているにもかかわらずー日本人の名前が一人もいない様に思える、ざっとみて見つけきれないのは寂しすぎる。


論文の最後の謝辞にこうある:We thank the Yoruba in Ibadan, Nigeria, the Han Chinese in Beijing, China, the Japanese in Tokyo, Japan, the Utah CEPH community, the Luhya in Webuye, Kenya, the Toscani in Italia, and the Chinese in Denver, Colorado, for contributing samples for research.

  • 「東京の皆さんありがと〜〜」てか。この扱いはひどすぎるのではないか?   

  • HapMapをconductした日本人研究者は責任を持って次なる仕事(1000人ゲノムプロジェクト)にcontributeしてほしかった。せっかく集めた日本人の貴重なサンプルを使った世紀の仕事だ。日本人研究者が関与していない、しかし日本人サンプルはしっかり使われている。いったいどうなっているんだ!
論文は今読んでいるが、正直今のところ退屈極まりない。これは予備実験として実験の精度確認やこれからの本解析への精度管理のための技術確認報告が前半多すぎるから。眠い。

2010年10月28日木曜日

Nature:1000ゲノムプロジェクトの最初のデータ公表

つい最近1000人ゲノムプロジェクトのことを思い出したと思ったらこれだ。最新号のNatureに最初の成果が報告された。おまけにこの論文は「無料」で読める。

Nature 467, 7319 (Oct 2010)

Cover Story: 1,000人のゲノム:集団規模での遺伝子塩基配列解読のための方法を検討した予備段階の成果

1000ゲノムプロジェクトのパイロットデータの公表 今週号では、ヒトの遺伝的多様性についての公共の大規模カタログ作製をめざしている国際共同研究、1000ゲノムプロジェクトの最初の成果が報告されてい る。実際には、このプロジェクトで、世界の20集団の匿名のおよそ2,000人について塩基配列解読が行われることになっている。今回の最初の論文では、 ハイスループット基盤技術を用いる全ゲノム塩基配列解読のための3つの戦略が検討されており、このプロジェクトの予備段階の成果が示されている。ここで報 告されているのは、3つの集団の179人についての低カバー率の全ゲノム塩基配列、母・父・子という3人組の2セットについての高カバー率の塩基配列、お よび7つの集団からの697人についてのエキソンを標的とした塩基配列である(Article p.1061, N&V p.1050)。

ざっとアブストラクトを読んでみたが、蛋白コード遺伝子を調べると、ヒトは一人平均して250個から300個の機能欠失変異遺伝子を持ったまま(引き継いだまま? 新たに獲得したものもある?)生き続けているとのことである。コリンズの評価ではヒトは19042個の遺伝子を持っているそうであるから1.3%~1.6%の遺伝子は壊れているということ? これは意外に多いね。もっともデュプロイドでは機能欠失とはならないだろうがね。そうはいってもたまにはホモになるだろう。

さらにいわゆる「遺伝性疾患」の責任遺伝子では一人平均50〜100の変異(variant)を持つらしい。血族結婚をしたいヒトがいれば、当該両者のシークエンスを終えてからの方が良いと思う。ただし疾患は遺伝子の一次情報だけで引き起こされるわけではないと思うから、やはり余程のことがない限り今後も従姉妹と子供を作ることはやめておいた方がよいであろう。

また一世代におこる胚細胞レベルでの突然変異率は10の8乗に一個の割合となるようだから、30億塩基で30個。一染色体で一個程度。これは予想よりかなり少ないなあ。やはりgerm lineのDNA修理機能は素晴らしく高級なのだろう。

まあこんなことが知りたいと思っていたわけだが、それに見事に答える研究である。ボクは更に受精を経たゲノムでどこに何回遺伝子組み換えがあったか系統的に知りたい。20年来知りたかったデータの一つである。まあこれもそのうち公表されるだろう。

2010年10月25日月曜日

日本人ゲノム:感想

いつかはやらなければならないことであったと思うが、それにしてはタイミングが遅すぎる。3年前でも出来ていたはずだし、中国や韓国から遅れずに「正しくアジアの先頭をきって」いたはずなのに、どうしてだろう? それまで連綿と頑張ってきたのに、いよいよというところで急激にしぼんでしまうのは良くないねえ。

小生などゲノムプロジェクトもわくわくしたが、ポストゲノムもいまだに面白くてしょうがない。でも日本発の情報が今はほとんどないので寂しいぞ昔は小原雄治先生とか清水信義先生とか世界的にも最前線の先生がおられ、学問ゲノムが本当に面白くてしょうがないからやっていた人たちが築いてきた伝統の世界。そこにあとから政治家学者が土足で踏み込んでヘゲモニーを握ってしまった。アメリカもそうだけど、日本と違って1人ベンターだけが崩されずに踏みとどまった。ボク自身は世間様と違ってベンターを見る目は極めて温かいぞ。結局彼は面白いからやっていたんだと思う。ウェルカムトラストなどは、結局コリンズがベンターを利用して作ったシナリオに乗せられて巨額の費用を出すことになったように見えるぞ。ベンターは自分の立場が面白かっただろうと思う。

この辺のことは何回もブログに書いたので、今捜してみたが、小生に気力があったのは2年位前のことだったんだな。

2008年2月23日土曜日

1000人ゲノムプロジェクト(1)


2008年2月24日日曜日
1000人ゲノムプロジェクト(2)

日本人のゲノム(nat genet):おいおい今頃かよ・・・

日本人初の全ゲノムシークエンスが報告された。DNAのソースは誰?一人の男性とあるが・・

Nature Genetics
Published online: 24 October 2010 | doi:10.1038/ng.691

http://www.nature.com/ng/journal/vaop/ncurrent/abs/ng.691.html

Whole-genome sequencing and comprehensive variant analysis of a Japanese individual using massively parallel sequencing

Akihiro Fujimoto1,2, Hidewaki Nakagawa1, Naoya Hosono1, Kaoru Nakano1, Tetsuo Abe1, Keith A Boroevich1, Masao Nagasaki3, Rui Yamaguchi3, Tetsuo Shibuya3, Michiaki Kubo1, Satoru Miyano2,3, Yusuke Nakamura1,3 & Tatsuhiko Tsunoda1,2

Abstract

We report the analysis of a Japanese male using high-throughput sequencing to ×40 coverage. More than 99% of the sequence reads were mapped to the reference human genome. Using a Bayesian decision method, we identified 3,132,608 single nucleotide variations (SNVs). Comparison with six previously reported genomes revealed an excess of singleton nonsense and nonsynonymous SNVs, as well as singleton SNVs in conserved non-coding regions. We also identified 5,319 deletions smaller than 10 kb with high accuracy, in addition to copy number variations and rearrangements. De novo assembly of the unmapped sequence reads generated around 3 Mb of novel sequence, which showed high similarity to non-reference human genomes and the human herpesvirus 4 genome. Our analysis suggests that considerable variation remains undiscovered in the human genome and that whole-genome sequencing is an invaluable tool for obtaining a complete understanding of human genetic variation.

ノーベル医学生理学賞を振り返る(6)

1950年代である。小生にとっても大過去の時代ではある。

1950年 諸種の副腎皮質ホルモンの発見およびその構造と生物学的作用の発見
1951年 黄熱およびその治療法に関する発見

1952年 結核に有効な初の抗生物質であるストレプトマイシンの発見
1953年 クエン酸回路の発見
    コエンザイムAおよびその中間代謝における重要性の発見
1954年 種々の組織培地におけるポリオウィルスの生育能の発見
1955年 酸化酵素の性質及び作用機序の発見
1956年 心臓カテーテル法、及び循環器系に生ずる病理学上の変化に関する発見
1957年 ある種の体内物質の作用を阻害する合成化合物、特に血管系及び骨格筋に関するものの発見
1958年 遺伝子が厳密に化学過程の調節によって働くことの発見
    遺伝子組換えおよび細菌の遺伝物質に関する発見
1959年 リボ核酸およびデオキシリボ核酸の生合成機構の発見

50年のステロイドはcorticoの方でありコルチゾンの発見。よくコルチゾンという言葉を聞くがこれは今では主流ではないらしい。といいますか私たちが頻回に治療薬として使うコルチゾールとは別のものであるようだが、コルチゾンがあってコルチゾールが見いだされた。のだろう。
51年は野口英世にとどめをうった黄熱病の研究者が受賞。野口博士がアゴラで黄熱病のために亡くなったのが1928年であるから、23年後の受賞ということであり余り日時が経っていないのだね。野口英世が前時代の最後を走っていたということなのだ。
52年はワックスマンによるストレプトマイシンの発見。結核に有効というのは当時は切実だったのだな。さて現在の結核初回標準治療を眺めてみよう。

   初回治療例の標準的治療法
日本結核病学会治療委員会:2002年

(A)法:RFP+INH+PZA に SM(or EB)の4剤併用で2カ月間治療後,RFP+INH(+EB)で4カ月間治療する。

(B) 法:RFP+INH+SM(or EB)で6カ月間治療後,RFP+INH(+EB)で3カ月間治療する。
     原則として(A)法を用いる。
     PZA投与不可の場合に限り,(B)法を用いる。

かくのごとしであり、今現在もストレプトマイシン(SM)は大事な主演クラスの薬剤なのである。ノーベル賞も当然か。ただしこのノーベル賞には教授と弟子の壮絶な争いがあったようである。弟子のシャッツというひと(実質的な発見者)が受賞できなかったので訴訟を起こしている。ワックスマンとの間にには和解が成立しているという。この場合やはり通常はワックスマンの功績ということになるんだと思う。発想して用意したヒト、組織して弟子を集めたヒト、指導したヒト。

53年はクレブス回路。医学部の生化学の講義では全部覚えさせられたし、今では高校生物での中核知識の一つのようだ。恥ずかしながら小生はすべて忘れている。教科書に載る仕事の筆頭でしょうね、クレブス回路。
54年はポリオで受賞であるがソークが貰うならもっとインパクトがあったのに。ソークらのワクチンが成功する前段階として地味な単離培養の仕事があったということなのだろうが・・・。う〜〜む。
55年
う〜〜む。テオレルという学者の酸化酵素の仕事ということであるが、オキシダーゼう〜〜む。歴史的貢献度がいまひとつわからない。
56年は心カテに対する貢献であり、これは素晴らしい臨床貢献である。われわれ臨床医は心カテについてはフォルスマンという名前をよく耳にする。実はこの年の受賞者の一人なのだが本日知ったエピソード:

  • ヴェルナー・テオドル・オットー・フォルスマン(Werner Forssmann、1904年8月29日 - 1979年6月1日)は西ドイツエーベルスヴァルデ出身の医師。人間の心臓に初めてカテーテルを通した人物として知られている。
  • 1929年、彼は腕を切開し、自身の心臓の右心房に尿カテーテルを通した。その後、自ら放射線医学の部署まで階段を降りて行き、レントゲン写真を撮って心臓にカテーテルが入っていることを確認した。彼はこの一件で病院を解雇されたが、心臓の研究への貢献により、1956年度のノーベル生理学・医学賞を受賞した。(Wikiに載っていたぞ!)
まあなんという乱暴な方なんでしょう。でもこの好奇心はすごいわ。ピロリでノーベル賞を貰ったマーシャルが、みずからコッホの3原則を証明するために単離したピロリを飲み干して後に胃カメラを受けたという有名なエピソードに匹敵する。

57年のテーマ「ある種の体内物質の作用を阻害する合成化合物、特に血管系及び骨格筋に関するものの発見 」これは笑ってしまうほど謎に満ちている。実は抗ヒスタミン薬の開発をした人として有名らしい。これなら全世界的に臨床貢献度大である。ノーベル賞の受賞理由は異なる、実は彼はサクシニルコリンの発見者なんですと。いわゆるサクシンであり、これなくして麻酔はあり得ない(おそらく)という薬剤。このダニエル・ビボットというヒトの名前はもっと知られても良いかもしれないね。

58年からはいよいよ現代分子生物学の巨匠達の登場である。この年はビードルとテータム、それにレーダーバーグである。前二者はアカパンカビと放射線変異という、それまで無かった実験生物学。
レーダーバーグは細菌の接合による遺伝子交換というか遺伝子移行による表現系の変化、あるいは表現系の変化が遺伝子移行によるものを明らかにした。小生にとっては「レプリカプレート法」の開発者ということで尊敬の対象である。レーダーバーグの「レプリカプレート法」の説明によって、小生の突然変異に対する考え方が完璧に間違っていたことを初めて認識させられショックだったからなあ。
59年「リボ核酸およびデオキシリボ核酸の生合成機構の発見」というテーマであるが、これだけで受賞者の名前が浮かぶか?
これ実はオチョアとコーンバーグなのだね。コーンバーグはDNAポリメラーゼの単離という不滅の大仕事(息子に手伝って貰ったけどね)である。オチョアは?オチョアは良く名前を聞いていたがノーベル賞の受賞対象研究は実はRNAの合成についてだという。そうだったけ?

さて50年代で最もインパクトのあるノーベル賞は何だろう?こうやって振り返ってみて初めて見えてくるものがあるねえ。人類にとってなら、おそらくストレプトマイシンかもしれない。ポリオよりも恩恵を被る患者は多かったし、今も多い。ストレプトマイシンを前にすると心臓カテーテルも局所的な仕事に見えてしまう。臨床的な側面を持つ研究に多くノーベル賞が与えられた時代だったといえるだろう50年代。

では基礎的には?これは
ビードルとテータム、それにレーダーバーグだろう。これは60年代のワトソン・クリックに相当するパラダイムを変える研究だったと思えるから。コーンバーグには悪いが研究のレベルが違うと思うな。

2010年10月24日日曜日

BRCA2の精製に成功

今晩は当直なので暇な時間にnature digestをつらつら眺めていると「BRCA2の精製に成功」という記事に気が付いた。

乳がんの原因タンパク質、ついに精製! - pp3 - 4無料公開記事
Breast cancer protein is finally purified
Alla Katsnelson


http://www.nature.com/ndigest/index_ja.html

15年かかったんだというからたいしたものだと思う。これほど時間がかかったのは、もちろんBRCA2自体が精製を拒む性質をもっていたということもあろうが、しかし最も大きな理由はその巨大さであった。なにしろ3418個のアミノ酸からなるのである。
Genecardsによると
Recommended Name: Breast cancer type 2 susceptibility protein
Size: 3418 amino acids; 384225 Da
Subunit: Interacts with RAD51 and DSS1. Interacts with ubiquitinated FANCD2. Interacts with PALB2, enables the
recombinational repair and checkpoints functions. Interacts with WDR16
Size:84,199 basesであるからゲノムでは85kbである、相応の大きさ。エクソンは27個らしい。

3つのグループが成功しnatureとnature StructMolec.Biolに出たという。本当にご苦労さまである。おそらく日本では考えられない仕事ではないだろうか?

昔は蛋白精製というのが生物学の大きなテーマであり、あの手この手で精製をし遂げていくことが生化学者の仕事と捉えられていた。そこにモノクローナル抗体が登場し、さらに分子生物学のテクノロジーが乱入したため、目的の蛋白へのアプローチが極めて楽になった。素人の毛が生えたような「我々」でも、あっという間にあるところまで行くのである。部分蛋白やペプチドくらいまでだが。それから先の完全蛋白精製はこれは素人が手を出すと大変な世界であった。不溶性という壁。折りたたみという壁。目的の蛋白が大腸菌や酵母や、あるいは細胞株の中に出来ているのは確実なのだが、そこからの精製が困難で断念。これが多くの研究のなれの果て。

だから今回の研究がいかに大変で地道な作業だったか、それ相応には想像がつく。ご苦労様でした。精製の最適化だけで4年かけたのだそうだ。この方法論は他の難攻不落の蛋白群へも一般化されるのであろうか?それなら素晴らしいが、それはそうと
BRCA2の精製それだけでも大変な示唆が得られるようだ。DNA損傷全般の統合調整蛋白質として生物学への今後の貢献は大きそうである。

2010年10月23日土曜日

最近のPNASから:乳がんとアリル

最近新しい論文に飢えている。小生の興味は実に狭く、キーワードは癌、ゲノム、DNAといったところなのであるが、この投網に引っかかる論文が最近は少ないなあ。Nature GeneticsはGWASが相変わらず大盛況であり、掲載論文の半分以上を占める。しかし癌をターゲットにした論文は減少気味である。Nature, Scienceであっても触手を伸ばしたくなる論文が少ない(小生気が付いていない)。ところで小生が好きな雑誌の一つはPNASであるが、この雑誌の9月の最終号に面白い論文↓が載っていることを見逃していた。

これまで癌のゲノム解析といってもシステマティックにアリルにまで気を付けて解析されている研究は少ない。何が言いたいのかというと、要は母親由来のアリルが欠損しているのか、父親由来が落ちているのかというところまで踏み込んで検討した論文が少ないということである。アリルに注目して初めてわかる真実というのがあると言うことである。

あるアリルが5本に増えているとして、LOHで片親由来が落ちた後に対側が5倍化したのか、それともそれぞれがばらばらに増加しているのか、ということは結構重要なのである。どうしてかというとメチル化によるepigenomic alterationにはアリルの由来性というのが極めて大事であると思われるからである。小生がこれまでのエピゲノム研究報告を余り重要だと思わないのは、決定的にアリルの発想が欠けているからであった。信頼性のある方法論がなかなかなかったことでもあるのだが・・・。

この論文がすべてその小生の疑問に答えてくれる訳ではないが、それでも乳がんの分子生物学分類(例のBasal type・・・)ごとでのゲノムCNVについて丁寧にアリルごとに見ている視点は新鮮だ。今後癌の研究にはこのような視点が絶対に欠かせないと小生は考える。久しぶりに面白い論文を見た思いである。ノルウェイからの論文である(この中で
唯一ノースカロライナのCharles M. Perouは昔から気になるヒト)


Allele-specific copy number analysis of tumors

Peter Van Loo, Silje H. Nordgard, Ole Christian Lingj_rde, Hege G. Russnes, Inga H. Rye, Wei Sun, Victor J. Weigman, Peter Marynen, Anders Zetterberg, Bjrn Naume, Charles M. Perou, Anne-Lise Brresen-Dale, Vessela N. Kristensen

PNAS September 28, 2010 vol. 107 no. 39 16910-16915

Abstract

We present an allele-specific copy number analysis of the in vivo breast cancer genome. We describe a unique bioinformatics approach, ASCAT (allele-specific copy number analysis of tumors), to accurately dissect the allele-specific copy number of solid tumors, simultaneously estimating and adjusting for both tumor ploidy and nonaberrant cell admixture. This allows calculation of "ASCAT profiles" (genome-wide allele-specific copy-number profiles) from which gains, losses, copy number-neutral events, and loss of heterozygosity (LOH) can accurately be determined. In an early-stage breast carcinoma series, we observe aneuploidy (>2.7n) in 45% of the cases and an average nonaberrant cell admixture of 49%. By aggregation of ASCAT profiles across our series, we obtain genomic frequency distributions of gains and losses, as well as genome-wide views of LOH and copy number-neutral events in breast cancer. In addition, the ASCAT profiles reveal differences in aberrant tumor cell fraction, ploidy, gains, losses, LOH, and copy number-neutral events between the five previously identified molecular breast cancer subtypes. Basal-like breast carcinomas have a significantly higher frequency of LOH compared with other subtypes, and their ASCAT profiles show large-scale loss of genomic material during tumor development, followed by a whole-genome duplication, resulting in near-triploid genomes. Finally, from the ASCAT profiles, we construct a genome-wide map of allelic skewness in breast cancer, indicating loci where one allele is preferentially lost, whereas the other allele is preferentially gained. We hypothesize that these alternative alleles have a different influence on breast carcinoma development.

久しぶり4例目のTietze

本日最後の患者さんは25歳の女性で胸が痛いとやってきた。おお久しぶりのTietzeかなと思ったら、やはりそうだった。右の上から4番目の胸肋関節肋膜炎。一応胸写や肋骨周りの写真は撮ったが異常を認めない。当院の外来にはMondor病はよく来るがTietzeは少ない。確か今日の方で4例目。経過がわからなくなるので、2週間目に必ず必ず来てくださいと念を押した。これは私のわがままでもあるが、よろしくね。小生の外来だけの特徴かもしれないが前回の患者殿が来たときにTietzeの患者は綺麗なヒトが多いと思ったのを、また思い出してしまった。なぜか?  それはだな、今日の患者殿も綺麗なヒトだったから。不思議なものだね。

2010年10月22日金曜日

弦楽四重奏曲を中心に室内楽の紹介

「弦楽四重奏曲を中心に室内楽の紹介」というホームページを作っておられる方がいる。忘れないように人気ベスト10を引用する。
http://www.cello-maker.com/quartet/index-q.html

1位57 pt   ボロディン: 弦楽四重奏曲 String Quartet No.2, in D
2位50 pt   ドボルザーク: 弦楽四重奏曲 String Quartet No.12「アメリカ」, in F, Op.96
3位46 pt   ベートーベン: 弦楽四重奏曲 String Quartet No.10「ハープ」, in Es, Op.74
4位45 pt   ブラームス: 弦楽六重奏曲 String Sextet No.1, in B, Op.18
5位40 pt   シューベルト: 弦楽四重奏曲 String Quartet No.14「死と乙女」, in d, Op.posth.
6位39 pt   チャイコフスキー: 弦楽六重奏曲 String Sextet「フィレンツェの思い出」, in d, Op.70
7位38 pt   スメタナ: 弦楽四重奏曲 String Quartet No.1「我が生涯より」, in e
8位36 pt   ラベル: 弦楽四重奏曲 String Quartet, in F
9位35 pt   フランク: 弦楽四重奏曲 String Quartet, in D
10位34 pt  チャイコフスキー: 弦楽四重奏曲 String Quartet No.1, in D, Op.2

ニールス・イェルネの聖性と俗性

イェルネを知るよすがとして文章をネットで探したが、以下の文章はなかなかである。
引用元はいくつかあるが代表して「ここ」

以下を読まれるとして、この極めて興味深いエッセーを書いたのはいったい誰なのか想像してみて欲しい。日本人か他国籍人(翻訳)か?読んでいくうちに、作者はただ者ではないことは知れよう。

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 ニールス・イェ ルネという人物は,見る人によっていろいろな側面が浮かび上がってくる。彼が晩年興味を示した抗体のイディオタイプ(その抗体の固有の構造)が,複数のパ ラトープ(見られる構造)として認識されるように。これは私の見たイェルネという人のパラトープである。多少バイアスがあっても,いずれにせよニールス・ イェルネであることに変わりはない。

 生前の彼と親交のあったクラウス・ラエフスキーに最近会ったとき,イェルネについて最も印象的だったことは何だったかと尋ねた。彼は即座に「初めに会っ たときの論文業績が,27編しかなかったこと」と答えた。いまどきの研究者では,若くても数百,少し名前の知れた学者なら,数千はあるに違いない。イェル ネの論文は,クラウスの言うように驚くほど少ない。それもイェルネの一面を示す特徴であろう。

 私は,彼の若いころの論文を読んだことがある数少ない読者の一人である。有名な『Journal of Experimental Medicine』の二つの号にまたがった長大な論文,しかも一編は一冊の雑誌全部のページを占めていた。いくら昔といっても,こんなことは珍しい。

 主題は,ジフテリアの抗毒素の,毒素への親和性に関するものだった。結合力が抗体の濃度に依存するという事実を,確率論的にパラノイックなまでに詳細に 解析し,後にアヴィディティと呼ばれる抗体の性質を記載した最初の論文である。イェルネが有名になっても,この原著論文を本当に読んだ人は少ないのではな いか。そんなに革命的な研究ではないにしても,この完全主義は,イエルネのパラノイックな一面を,すでに色濃く反映している。

 私が初めてこの免疫学の巨人に出会ったのは,1973年か1974年の2月,スイスのバーゼルを訪れた時だった。

 バーゼルは,おりしも名物のファスナハトの最中であった。ファスナハトとは,聖灰水曜日のすぐ後の月曜から3日間,町中で繰り広げられる有名なカーニバルのことで,バーゼルの町は人波で埋め尽くされていた。

 私はこの日に,イェルネの主催するバーゼル免疫研究所に講演に招かれたのだ。私の免疫研究所でのセミナーは,ファスナハトの最終日に予定されていた。だから初めてのバーゼル訪問は,このファスナハトの喧騒の思い出と重なる。

 講義が終わって,所長のイェルネに面会するかと聞かれて,私は躊躇した。何しろ,イェルネといえば,当時免疫学を志すものにとっては,「抗体の自然選択 説」で伝説的な巨人であった。私も「イェルネのプラーク・フォーミング細胞」を主な研究手段にしてきた。こちらは,この二,三年やっと名前が知られるよう になった駆け出しの研究者に過ぎない。私の講演に顔を見せなかった高名なイェルネと,話の接点などなかった。それよりも若手の研究者と実験の議論を戦わせ たり,パレードを見物したほうが気楽だった。

 私は,私を招待してくれたイタリア人の免疫学者ベンベヌート・ペルニス博士におずおずとそう告げた。彼も納得してイェルネとは儀礼的な挨拶をする程度にしようということになった。ところが思いもよらぬことに,イェルネのほうが会いたいと言っているという。

 そのころ私は,抗体産生を抑制する胸腺由来のリンパ球,抑制性T細胞の研究をしていた。その受容体が抗体と同じく抗原特異性を持っているらしいことが, 世界の免疫学者の関心を集めていた。それなら抗体と同じネットワークに入ってもおかしくない。彼もそう思って,東洋から来た無名の研究者に会うと言ったの ではなかろうか。

 講演が終わって,免疫学研究のメッカになっているバーゼルで,はなばなしく研究を展開している若い研究者のところを回って,意見交換をして時間をつぶし た。イェルネを尊敬し,いわばイェルネ教の筆頭信者のようだった分子生物学者,大野乾(すすむ)博士とも,まだ無名だった利根川進博士とも初めてそこで 会った。こうした世界的研究者を集めたのが,イェルネであり,彼が主催するバーゼル免疫研究所だった。

 何人もの研究者と白熱した議論に時を忘れ,気づいたときはイェルネとの面会時間をかなり過ぎていた。ペルニスがあわてて呼びに来た。

 イェルネの待つ所長室のドアをノックしたときは,1時間も遅れてしまった。もう外では,落ち日がライン川を煌めかしていた。

 イェルネは,驚いたことに,所長室のブラインドを全部下ろし,電気もつけずにそこにいた。下ろしたブラインドの隙間から,夕日の光が弱弱しく差し込んでいたのを覚えている。

 待たせた失礼にもかかわらず,彼は機嫌よく迎え入れた。しかし自己紹介が済んでも,椅子には座らせず,討論も始めようとはしなかった。何か気になること があるように,私のほうは一瞥もせず,ペルニスに向かって,「これから私は出かけなければならない。食事にはお前が連れて行ってくれ。バーゼル市内でな く,フランスとの国境の向こうの村にあるレストランに連れて行くように」とそそくさと指示した。

 そのとき,私は気づいたことがあった。閉め切った彼の部屋は,ワインの匂いが充満していた。彼は,部屋を暗く閉め切ってワインを飲んでいたらしい。私 は,世界の免疫学者から神話の主人公のように崇められて,なかなか親しい友人もできないであろうこの巨人の,孤独と寂寥を垣間見たような気がした。

 その夜は,喧騒の街を離れ,イェルネに教えられたフランスの村のレストランで,ペルニスと一緒に食事をした。国境を越えることがこんなに日常のことかと 驚きながら。私はペルニスとともに,すばらしいペッパーステーキの饗応に預かった。上等のワインに,最高のビーフ,さすがグルメでも名の通ったイェルネ推 奨の店だった。昨日までのバーゼルのホテルの食事とは,国境を越えたら雲泥の差だった。

 話題はもちろん,イェルネの日常にもおよんだ。ペルニスは,イェルネと同じアパートに住んでいるらしい。彼もイェルネ教の信者であることが,私にはすぐにわかった。

 バーゼルにはイェルネの崇拝者が数多くいた。どうしてなのか私にはわかる気がした。あの到達できない孤高,間違っているとわかっていても,人を引きつけ ずにはおかない魔法のような魅力,それを構築する知性,まったく別の視点から見る才能,はるか遠くから物事を眺める目,天上の聖性と俗界の行為の奇妙な混 交。

 ペルニスは,イェルネと同じアパートに住んで,彼と毎日のように議論する喜びをこう語った。イェルネは夜中でも,突然ペルニスを自室に呼びつけ,彼の新 しいアイデアが間違っているかどうかを,長時間問いかける。議論は朝まで続くこともある。時には,ペルニスの部屋の階上に住むイェルネが,夜通し歩き回る 足音が響いていることもある。そんな時は翌日彼が何を言い出すかが楽しみだ。

 ペルニスは,イェルネとともに考え,何かを発見する喜びを共有していたらしい。そうなのだ。一流の知性とともにいることの喜びは,その知を共有し,発展させる作業に参加できることだ。

 こんな話を長々と聞いて,私はバーゼルに戻った。バーゼルではまだファスナハトの興奮が続いていた。笛と太鼓が,魔法をかけられた集団の上に鳴り響いて いた。それを聞くと体中が動いて,踊らされてしまう。それはイェルネという魔術師に会った興奮のため,眠れなくなった私の枕に,いつまでも鳴り響いてい た。

 私はその後何度かバーゼルを訪ねたが,イェルネと個人的にはつきあいが深まることはなかった。彼は私を覚えてくれてはいたが,学会などで会ってもよそよそしい会釈を交わす程度にとどまった。

 1976年のコールドスプリングハーバー・シンポジウムですれ違ったとき,イェルネが心なしか寂しげな微笑を浮かべていたことを思い出す。そのシンポジ ウムでは,利根川進博士の「免疫グロブリン遺伝子の再構成」の話題が衆目を集め,イェルネの血清学的研究を基にした「選択説」も,ここ十年余り免疫学を席 巻した免疫細胞間の相互作用の研究も,かつての光を急速に失っていた。新しく勃興した分子生物学の鋭い光の下では,全体を見る古典的免疫学は,弱弱しい最 後の光を放つ落ち日のようだった。

 その後何年かたって,私はアメリカのイーライ・セルカルツ,英国のエイブリオン・ミチソンなど免疫学の理論的側面に興味をもっていた友人と語らい,「免 疫の記号論」という会を計画していた。イェルネの学説が凋落した後,免疫理論で全体的,統一的理解をしようとする者はほとんどいなかった。分子生物学に代 表される徹底した還元主義に座を奪われた免疫学は,いかなる学説も光を失っていたし,本来の生物学としての免疫系に興味をもう一度呼び覚ますものはなかっ た。そんな風潮を憂いて,そのころ盛んだった言語学における記号論を応用し,細胞による認識や,情報交換,使われるサインや多様なメッセージの理解に,記 号論的アプローチが応用できないかというアイデアからであった。

 NATOの援助を申請したところ,幸運にも補助金が下り,実現の運びとなった。場所は北イタリアのルッカの郊外,ピレネー山脈の山荘イル・チョッコだっ た。著名な記号学者の,ウンベルト・エーコも参加した。会議は成功とはいえなかったが,記録は英国のスプリンガー社から出版された。

 問題はかたくななイェルネの参加だった。チョムスキーの生成文法論と免疫系の成立にアナロジーを見出し,興味を持っていたイェルネが喜ばぬはずはないと みんな思った。果たして,イェルネは〈immnosemiotics〉という主題が気に入ったらしいと,連絡に当たったクラウス・ラエフスキーの報告が 入った。

 ところが会の直前,約束のルッカの町に全員集まっても,イェルネは姿を現さなかった。何時間も待ったが彼は来なかった。

 業を煮やして,クラウスがイェルネのいるフランスのシャトーに電話をかけた。何度目かにやっと電話口に現れたイェルネは,憂鬱そうにこう言った。「私は具合がよくない。妻も不調である。私は死ぬのを待っているばかりだ。」

 そして「immnosemioticsにはもはや興味がない。第一ラテン語とギリシャ語をつなげた造語は気に入らない。」と取り付く島もなかったという。

 それが,イェルネとの交流の最後だった。その後もバーゼルに行って,彼の消息を聞くと,「給料日にだけは来るが,ほかには見かけない」とのことだった。研究所は徐々に新所長のフリッツ・メルヒャーズのドイツ合理主義的実学的研究一色に染まっていった。

 そして1984年のノーベル医学・生理学賞の受賞では,モノクローナル抗体を実際に作った業績のミルスタイン,ケーラーとの共同受賞だったが,イェルネだけは何か実物を作ったわけではなかった。いわばコンセプトの発明だった。

 どこかニュアンスが違っていた。もともと一緒にするのは無理だったのだ。選考委員会でも,イェルネだけは反対があったそうだ。イェルネの信者でもあった委員長ハンス・ウィグツェルが選考委員を説き伏せたと巷間伝えられた。

 でも私は,逆にイェルネこそ単独受賞してもおかしくないと思っている。彼のおかげで,この授賞が,世紀の一流の授賞となったとさえ思う。

 彼の仮説「ネットワーク説」(内容については拙著『免疫の意味論』〈青土社〉に詳しく解説した)は,免疫学における「統一場の理論」の可能性としてだけ でなく,複雑な情報化社会を理解し,運営するための普遍的理論として,遠く美しく輝く。学説の美しさとはこういうものだ。アインシュタインの相対性原理に 匹敵する科学思想だ。

 現在の還元主義的免疫学では,忘れ去られたというばかりか,今ではイェルネに言及することさえ異端としてタブー視されている中で,彼の孤高は厳然として高みに輝く。

 そして帝王は,フランスのシャトーの奥深く,人知れず死んだ。

 彼はやっと自由の身になったのだ。今は誰はばからず,イェルネのことを語ることができる。タブーではなくなった。

 近代免疫学の最後の傑出した理論家,預言者,伝道者としてのイェルネに,直接触れ,深い精神的影響を受けた者の一人として,私の想像の世界のイェルネ に,再び語らせることも自由であろう。最後に私の想像上のイェルネの生涯に,二編の詩を贈って稿を閉じたい。全くの想像の世界で,彼と深く交わってきた産 物である。

多田富雄

☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆

俵流CD収集術 11月予定

シューベルト:三大歌曲集(全65曲)
   フィッシャー=ディースカウ(デートリッヒ) (アーティスト), その他
   中古品 ¥ 5,000 + ¥ 340(配送料)- 非常に良い

CD (1991/12/10)
ディスク枚数: 3
レーベル: ポリドール
ASIN: B00005MX3R

1 1. 歌曲集「美しき水車小屋の娘」D.795
2 1. 歌曲集「冬の旅」D.911
3 1. 歌曲集「白鳥の歌」D.957

ハイドン:弦楽四重奏曲第76番「五度」、同第77番「皇帝」、同第78番「日の出」
   アルバンベルク四重奏団 | 形式: CD
   ¥ 1,500

CD (2008/11/26)
ディスク枚数: 1
レーベル: EMI MUSIC JAPAN(TO)(M)
収録時間: 66 分
ASIN: B001CRGT50

ベートーヴェン:ピアノ三重奏曲第7番「大公」

ケンプ(ヴェルヘルム),シェリング(ヘンリク),フルニエ(ピエール) |
1、000

レーベル: ユニバーサル ミュージック クラシック
収録時間: 67 分
ASIN: B000M5B9F8

シューベルト:ピアノ五重奏曲「ます」/アルペジオーネ・ソナタ
ヨーヨー・マ

参考価格: ¥ 1,680
価格: ¥ 1,596
演奏: ヨーヨー・マ, アックス(エマニュエル), フランク(パメラ), ヤング(レベッカ), メイヤー(エドガー)
レーベル: SMJ(SME)(M)
収録時間: 64 分
ASIN: B001FOSJZS

1. ピアノ五重奏曲イ長調 D667 作品114「ます」
2. アルペジオーネ・ソナタ イ短調 D821
3. 歌曲「ます」 D550


モ-ツァルト&ブラームス:クラリネット五重奏曲

プリンツ(アルフレート),ウィーン室内合奏団 | 形式: CD
¥ 1,200

CD (2010/9/22)
ディスク枚数: 1
レーベル: コロムビアミュージックエンタテインメント
収録時間: 70 分
ASIN: B003RECFIG

弱冠15歳でウィーン国立歌劇場に入団し、1995年の定年退団までウィーン・フィルの顔として、楽団の黄金時代を支えた名クラリネット奏者が、気心の知れた仲間たちと残した不滅の名盤です。

モーツァルト:
1. クラリネット五重奏曲 イ長調 K.515
ブラームス:
2. クラリネット五重奏曲 ロ短調 Op.115
[録音:1979・80年ADD]

レコード芸術推薦
※高音質「ブルースペックCD」仕様

2010年10月21日木曜日

イェルネのイディオタイプ・ネットワークセオリー

先にイェルネのイディオタイプ・ネットワークセオリーが今やかえりみるヒトすらいないと書いたが、免疫学においてイェルネの存在感は相当なものであったということは同時期学生から大学院学生であった小生にも実感できた。当時の免疫学は実態が杳として知れず、空想あるいは想念的、言葉を変えれば「理論免疫学」が大手を篩っていたが、その中でも教祖的存在がイェルネであった。

教祖様として絶頂時にネーチャーだかに載ったマンガを今でも覚えている。それは中世ゴチック教会のおそろしく裾の長い黒服を着たイェルネがオーケストラを指揮している姿をカリカチュアしたもので、標題には「GOD」と書いてある。当時の免疫学学界ではイェルネが神がかりの扱いを受けていたことがわかろうというものだ。そしてGODには確かに彼の主張が込められていた。それはGeneration of diversityというものである。30年くらい経つと思うが鮮明に覚えているぞ、このマンガ。ネットで探せば見つかるかもしれないね。

ちなみに現在イディオタイプ・ネットワークセオリーはどのような扱いなのであろう?  グーグルで検索するといったいどれだけの検索数が上がってくるのだろう?それがまあ
驚いた! たったの44件である。なんなのだこれは!ノーベル賞のテーマであるぞ。イェルネをWikipediaするといろいろ伝記的事項が掲載されるが、これまた驚くべき事にイディオタイプ・ネットワークセオリーが出てこない。

その中で極めて興味深い記述を見つけた。 これは後述する。

ピアノ版ベートーベン「運命」:リスト編曲グールド演奏 

最近のCD購入履歴

  1. グレン・グールド:リスト編曲 ピアノ版ベートーベン交響曲第五番「運命」 790円
  2. グレン・グールド:ゴールドベルグ変奏曲81年版 (CD版は持っていなかった。それと旧バージョンの方が好みにあっていた) 790円
  3. 内田光子:モーツアルトピアノ協奏曲 20番ー27番
  4. ケンプ:ベートーベン ピアノソナタ全曲(32曲)

合計してまだ一万円いかない。今月は今のところ9182円である。あと一枚はいけるがこれは来月への持ち越しとしよう。ピアノソナタは行き帰りに聴いているが、これぞクラシックという感じ。小さい頃兄妹のピアノ発表会に夏になると出かけていったが、あの端麗な雰囲気を思い出す。グールドはタワーレコードで今月のバーゲンセールなのだ。ほとんど790円なのだ。これはやはり買ってしまう。

運命は・・・う〜〜〜ん。やはりきわものではないだろうか?あまり好きではない。

2010年10月19日火曜日

ノーベル医学生理学賞を振り返る(5)

60年代はどうであったか?

1960年 後天的免疫寛容の発見

1961年 内耳蝸牛における刺激の物理的機構の発見
1962年 核酸の分子構造および生体の情報伝達におけるその重要性の発見
1963年 神経細胞膜の末梢および中枢部における興奮と抑制に関するイオン機構の発見
1964年 コレステロールおよび脂肪酸代謝の機構と調節に関する発見
1965年 酵素およびウイルス合成の遺伝的制御に関する発見
1966年 発癌性ウイルスの発見
    前立腺がんのホルモン療法に関する発見
1967年 視覚の化学的、生理学的基礎過程に関する発見
1968年 遺伝暗号とそのタンパク質合成における機能の解明
1969年 ウイルスの複製機構と遺伝的構造に関する発見


60年のメダワー、マクファーレン・バーネット卿らの受賞は実験免疫学の大成果であった。当時なんども何度も月刊日経サイエンスの付録雑誌で特集が組まれたものだ。まずこの研究の背景にはバーネット以前に、まずコンジェニック・シンジェニックなマウスの系の作成がある。これには米国ジャクソン研究所による極めて息の長い努力があった。遺伝学(免疫遺伝学)的にほぼ同一のマウスの系統作成という地道な作業である。メーン州アカディア国立公園内にジャクソン研究所はあるが、当時免疫学をやった人間でジャクソン由来のねずみたちのお世話にならなかった者はいないはずだ。B6, C3H, C57BL等々である。バーネットに戻れば彼らはそこで皮膚移植を繰り返したわけだ。拒絶される皮膚と受容される皮膚。そこに後天的な「免疫のおめこぼし現象」すなわち寛容を見出すのである。

61年の蝸牛神経生理はフォン・ベケシーによる単独受賞。学生時代に生理学でみっちりその名前はすり込まれたよ。「風にそよぐ葦」だね、あの有毛細胞は。63年の エックルズ、 ホジキン、 ハクスリーの神経伝達の実験もヤリイカの巨大軸索とともに生理学の伝統芸であった。67年の視覚生理学。この辺りは純粋生理学の全盛期を反映する受賞が続く。

64年のコレステロールはほとんど小生の記憶にない。コレステロールもノーベル賞のお家芸であるけどね。

臨床的受賞としては66年のハギンスによる前立腺癌のホルモン治療がある。彼は1941年に睾丸摘出術と大量女性ホルモン投与法の併用で前立腺癌の予後を大きく改善させたという報告をし結局25年後のノーベル賞を得た。この年は全く異なるもう一つのテーマで受賞者がいる。ペイトン・ラウスである。Rous Sarcoma Virusである。ウイルス発癌の皓歯である。ただし日本人としては同時代の藤浪さんを忘れてはいけない。ラウスと同時代の京都大学教授・藤浪 鑑による藤浪肉腫ウィルスのことだ。藤浪さんは早死にした。ラウスは受賞時87歳、ラウスウイルスの発表からは55年が経っていた。ぎりぎり時代がラウスに追いついたわけだ。藤浪さんは残念でした。

60年代残りの受賞はすべて「分子生物学の夜明け」を実証するものであった。62年ワトソン・クリックによるDNAの構造決定と遺伝学への示唆。65年のジャコブとモノーのオペロン説とアロステリック効果。作業仮説としては素晴らしい。同じ作業仮説でもイエルネのイディオタイプ・ネットワークセオリー(84年受賞)は今やかえりみるヒトなし。68年はホリー、コラーナ、ニーレンバーグ。それぞれが少しずつ違う仕事をしているが三つ組みとアミノ酸の対応解明であることは間違いない。そして伝説のモスクワ生化学会。最後に69年は分子生物学の巨人、マックス・デルブリュックの単独受賞。的外れかもしれないがこのマックス・デルブリュックというのは数学の世界でのグロタンディーク(アレクサンドル・グロタンディーク)をつい連想してしまう。これら60年代受賞の一連の研究で「大腸菌の分子生物学」は完成した・・・・・と小生は今となっては思う。


さて「大腸菌で正しいと証明されたことはゾウでも正しい」というのはモノーの有名な言葉であり、大腸菌を使って遺伝の分子機構・仕組みはほぼわかったのだから、これ以上高等生物で同様の研究をやる意味はないとの宣言である。これにて分子生物学は終わり、という終了宣言だった。これが60年代の始まりであり終わりだった。これを信じて別の生物学を開始した一番有名な学者が線虫の生物学というテーマで最近ようやくノーベル賞を受賞した南アフリカ出身のシドニー・ブレンナーである。このブログでは何度も述べたがブレンナー大好きな小生としては、生きててよかった受賞してよかったなあ、ブレンナーさんよ・・・と言いたいのだ。

で60年代の総括であるが、やはりワトソン・クリックのdouble helixが群を抜いている。御本人自身は哲学的とはとても言えないが(クリックにはその気配は若干あるとはいえ)研究内容は現世人類の世界の把握に決定的な影響を与えたわけであり、並の哲学書を遥かに超える世界観の提出なのであった。before-afterがこれほど歴然とした研究もないと思う。afterの世界にいる小生たちには、すでにbeforeの世界観は想像できないという意味においてだ。ワトソンがまだ生きているというのも不思議な感覚である。革命を共に生きた(といってもリアルな革命そのものは小生の生まれる前か、幼少時に進行しているわけであるが)感覚はやはり小生の意識の中には明らかにある。面白い時代だったということであろう。

2010年10月18日月曜日

音楽CD全集を渉猟してみる

音楽CD全集をちょっと探ってみたが、これほどの状況になっていようとは全くの驚きだ。価格のことである。価格崩壊といって良いだろう。もうこうなってはクラッシク音楽のいや正確にはCD業界の未来などあるのだろうか?  交響楽団や音楽家を養っていけるだけの稼ぎが業界に残るのだろうか心配だ。そこまで安くしなくてもと思う。そこまで安くしないでも買うヒトは買うと思う。小生の父親の時代は例えば「鱒」を買うのにひと月分の給料に匹敵するお金を用意しなくてはいけなかったのだ。今アマゾンの中古なら43円〜200円くらい。新品でも1000円以下で買える。お米の値段もそうだけど、この価格破壊はひどすぎる。

1. ハイドン:交響曲全集(33枚組)/Joseph Haydn: Symphonies 1-104 [Import, from US]

ハイドン (作曲), アダム・フィッシャー (指揮), オーストラリア・ハンガリー・ハイドン管弦楽団 (オーケストラ) |
¥ 13,800

オーケストラ: オーストラリア・ハンガリー・ハイドン管弦楽団
指揮: アダム・フィッシャー
作曲: ハイドン
CD (2001/12/1)
SPARSコード: DDD
ディスク枚数: 33
フォーマット: Import, from US
レーベル: Brilliant Classics
ASIN: B0000666AF

104曲で13800円は凄い

2. ハイドン:弦楽四重奏曲全集(CD25枚組)
コダーイ・クワルテット (アーティスト), ハイドン (作曲)
¥ 13,500

CD (2009/2/25)
ディスク枚数: 25
レーベル: Naxos
ASIN: B001GVA7DW

3. モーツァルト:作品大全集(170枚組)/Mozart: Complete Works 170 CD BOX [Import, from US]
¥ 9,800より

演奏: 演奏者多数
指揮: 指揮者多数
作曲: モーツァルト
CD (2007/1/1)
SPARSコード: DDD
ディスク枚数: 170
フォーマット: Import, from US
レーベル: Brilliant Classics
ASIN: B000A0HFZS

170曲、もといCD170枚で9800円は凄い。まるでアマデウスの最後で粗末な棺桶に入れられ無名墓地に葬られたモーツアルトのようでちょっと哀しすぎる価格だ。                         

ベートーベンのソナタ全集はどうなっとる?

Piano Sonatas 1-32 [Box set, Import, from US]

ケンプ(ウィルヘルム) | 形式: CD
価格: ¥ 3,611

バックハウス
¥12,684

グールド(not all included)
¥ 14,003

アシュケナージ(ウラジミール)
¥ 15,000(中古)

グルダ
¥ 15,000(中古)

というわけでとりあえず2010年10月の時点ではケンプがお買い得ということだね。俵さんの著書だとグルダが推薦なんだけど中古でも高いわね。


http://www.amazon.co.jp/Piano-Sonatas-1-32-Beethoven/dp/B001CGJ3QS/ref=pd_sim_m_6

モーツァルト:ピアノ協奏曲価格変遷の記

20年前に比べ価格は半額以下となっている。デフレといえばデフレ。海外価格との均衡化といえばそうなのだろうが、何故か哀しい値段である。40年前であれば、おそらく一曲が2000円のLPであるから8曲で16000円するのが常識だったわけで、比較して価格は4分の1になっているということだ。当時中学生の小生には手が出なくて当たり前。一年くらいかけてお金を貯めて23番を買った日を思い出すぜ。そんなこんなで思い入れが大きいが、思い入れが大きいとそれだけ大切な曲に思えるがそれでいいのか?  いやそうではないという意見もあるだろう。安価にたくさんの名曲にアプローチできるから、やはり今の方が良いに決まっている、そういう意見も多いかもしれない。でもそうかな?そうかな?とも思う。

系統だって聞き始めるデメリットもあるのだな。なんか切手集めのようになる。集めることが目的のような。自然に耳にできる環境に育つのが一番よいのだと思う。クラシックも育ちだな。なんら偏見も予見もなく自然に好みが形成されるのが一番である。小生の役割は次世代への環境作りだな。



モーツァルト:ピアノ協奏曲第20番~第23番
バレンボイム(ダニエル) | 形式: CD
価格:
¥ 1,895

モーツァルト:ピアノ協奏曲第24番~第27番【SHM-CD仕様】 [Limited Edition]
バレンボイム(ダニエル) | 形式: CD
¥ 2,918

4813円


モーツァルト:ピアノ協奏曲第20番&24番
内田光子 | 形式: CD
価格:¥ 991

モーツァルト:ピアノ協奏曲第21番&23番
内田光子 | 形式: CD
価格:¥ 1,000

モーツァルト:ピアノ協奏曲第25番&27番
内田光子 | 形式: CD
価格:¥ 1,000

モーツァルト:ピアノ協奏曲第22番&26番
内田光子 | 形式: CD
価格:¥ 1,000

4000円

というわけで内田光子で20−27番をまとめ買いした。内田のモーツアルトは持ってなかったから良いのだ。
しめて3900円なにがし・・・・俵さんの予定では10000円だから最初の月から余剰金が出てしまった。今月中にシューベルトの歌曲も買ってみようか・・・・・・

2010年10月17日日曜日

気楽にCDを楽しもう(1):俵孝太郎

「気楽にCDを楽しもう:俵孝太郎」を手に入れたのは1995年のこと。アメリカにいた頃でニュージャージーの紀伊国屋で手に入れた。いま手元にある本には「15ドル60」というシールが貼ってある。日本の定価は1200円。当時の円レート80円くらいで実勢を反映している・・・。しかし貧乏留学生にはなかなか辛い値段であった。でもこの本はむさぼるように、というかそれこそ何度も何度も読んだ。第三章の「3年間50万円でレコードライブラリーを作る」というテーマがなんとも妄想をかき立てるわけだ。当然貧乏留学生の間は無理である。日本に帰ったらいつかはこんな優雅な3年間を過ごしてみたいという妄想なのである。CDはその後今もちょこちょこ購入しているが、未だ体系的コレクションを取りそろえているとは到底いえない。むしろ本当にsuperficialなコレクションであろう。まず歌曲が全くない。オペラが全くない。楽劇もない。そろそろ俵さんのあの本と正直に向かい合ってもいいかな。

以下一月分の内容であり最初の6ヶ月の購入推薦予定リスト。月1万円の予算である。

  1. ベートーベン:交響曲全集
  2. モーツアルト:ピアノ協奏曲のうち20-27番まで 内田光子かバレンボイム(と当時の91年発行の、すなわち20年前の俵は語る)
  3. シューベルト:歌曲集「美しき水車小屋の娘」「冬の旅」「白鳥の歌」
  4. ハイドン:弦楽四重奏曲作品76、ベートーベン:大公トリオ、シューベルト鱒、
  5. バッハ:平均率クラーヴィア第一集:グールドかキースジャレット、ブランデンブルグ協奏曲:ピノック
  6. ベートーベン:ピアノソナタ全曲(32曲):グルダを推薦

2010年シカゴマラソン最後の7分:興奮する

去年の福岡といい最近のマラソンの40km以降は僕らの従来の常識を遙かに超える。このワンジルとゲベデの一騎打ちはすごい!。これが40kmを走り抜いた末の戦いであるのだからもうなにも言えない。素晴らしい!

まれにみるマラソンデッドヒート


Track and Field Videos on Flotrack

http://www.flotrack.org/videos/coverage/view_video/237467/359189

2010年10月15日金曜日

タイケルブを使うことに・・・

タイケルブというのは乳癌に対する唯一の経口分子標的薬である。肺癌へのイレッサ、タルセバ、白血病へのグリベックとともにチロシンキナーゼ阻害薬に類される。外来の乳癌患者が肝転移を見出された。Her2強陽性にてハーセプチンを点滴で使ったのだが2回目以降も悪寒・戦慄が尋常でない。一日経つとケロッとしているのだがすでに83才であり負担をかけたくない。といって他に良い薬は・・・と捜していたらタイケルブを紹介された。

自分の作ったリストにも載っているぞ(昨年11月)。一日5錠 
1620.7 x 5=8103.5円  一ヶ月で24万円 一割で2万4千円。

いずれゼローダを処方しなくてはいけないだろうから、これが一日1400円 一ヶ月42000円。一割で4200円。

一割でなかったら経済的に堪える治療だな。

2010年10月14日木曜日

ノーベル医学生理学賞を振り返る(4)

70年代はいかがであろう?

1970年 神経末梢部における液性伝達物質、およびその貯蔵、解離、不活化の機構に関する発見

1971年  ホルモンの作用機作に関する発見
1972年  抗体の化学構造に関する発見
1973年  個体的および社会的行動様式の組織化と誘発に関する発見
1974年   細胞の構造的機能的組織に関する発見
1975年  腫瘍ウイルス細胞内の遺伝物質との相互作用に関する発見
1976年  感染症の起源および伝播の新たな機構に関する発見
1977年   脳のペプチドホルモン生産に関する発見ペプチドホルモンのラジオイムノアッセイ法の開発
1978年  制限酵素の発見と分子遺伝学への応用
1979年  コンピュータ断層撮影の開発

受賞理由を一瞥して受賞者とその具体的研究内容が思い浮かぶであろうか?


  1. 70年はおそらくアセチルコリンレセプター関連(違った!ノルアドレナリンやアドレナリンの仕事だった。)
  2. 71年はよくわからない(実はc-AMPの発見だった。小生は学生の頃cAMPが大嫌いだった。よくわからない割に大きな顔をしているから)
  3. 72年は抗体が定常部と可変部からなることを生化学的に明らかにしたエーデルマンらの仕事
  4. 73年は医学生理学賞としては極めて異色。「動物行動学」ローレンツやティンバーゲンの刷り込みの仕事等々である。
  5. 74年はとてもわかりにくいが、細胞内小器官の分離あるいは小器官由来構造の単離法開発。遠心分離が関連している。
  6. 75年は癌が久しぶりに受賞した年。とはいえ内容は腫瘍ウイルスと逆転写酵素の発見についてで受賞理由は控えめ。
  7. 76年はこれはとても良く覚えている。1人は豪州のブランバーグ。今では誰も使わない業界用語であるAu抗原。オーストリア抗原の発見である。すなわちB型肝炎ウイルスの発見である。東京大学(のち九州大学)大河内先生残念無念のブランバーグ単独受賞であった。でもう1人はクールーである。Creutzfeld-Jacobのちのプリオンで二度目の受賞となるテーマであった。slow virus infection.
  8. 77年シャーリーとギルマンの視床下部ホルモンの単離競争
  9. 78年この制限酵素は誰に業績があるのかよくわからん。
  10. 79年のこの受賞には驚いた。この頃のCTは臨床では頭部だけであった。それでも脳内を見ることができるというのが革新的であった。それまで学生が脳外科や神経内科で覚える画像といえば、単純Xp、血管造影ーこれを3Dで撮って目の前に2枚並べ眼力で立体視する訓練をさせられたなあ。あとはシンチ(信じられない!)あと脳室気写、脳槽造影などなど。
臨床的研究の筆頭はCTである。この受賞は当然であろう。たしかこの研究者たちはビートルズの属したアップルと関係がある人たちである。更に今にいたるも大きな業績はB型肝炎のウイルス発見であろう。碩学大河内博士が内幕ものの記録を残しておかれたら貴重な背景が知れたのにと残念に思う。

2010年10月12日火曜日

ノーベル医学賞を振り返る(3)

1980年   免疫反応を調節する、細胞表面の遺伝的構造に関する研究
1981   大脳皮質視覚野における情報処理に関する研究
1982    イギリス重要な生理活性物質の一群であるプロスタグランジンの発見およびその研究
1983   転移する遺伝子の発見など、遺伝学上の優れた研究
1984   免疫制御機構に関する理論の確立とモノクローナル抗体の作成法の開発
1985   アメリカコレステロール代謝とその関与する疾患の研究
1986年          神経成長因子および上皮細胞成長因子の発見
1987年    多様な抗体を生成する遺伝的原理の解明
1988    薬物療法に関する重要な原理の発見と新薬の開発
1989年          レトロウイルスの癌遺伝子が細胞起源であることの発見

さて1980年代であるがこの時代は素晴らしい受賞が目白押しである。1980年は「
免疫反応を調節する、細胞表面の遺伝的構造に関する研究」と書くとなんのことやらであろうが・・・これ実はHLAの発見である。そして個人的には小生の大学院での研究テーマは詳細を省けば「モノクローナル抗体を作成すること」であったから、ケラーとミルシュテインのmoAbの作成は極めて身近でうれしい84年の受賞だった。85年のコレステロールはスキャンダラスな本(ノーベル賞の決闘)ですっかり有名になった生化学の両巨頭の物語である。この本には松尾教授など日本人もバイプレーヤーで登場するのでリアルで面白かった。(寒川さんは出てきただろうか??)86年はコーエンとモンテニエさんの成長因子クローニングの物語である。これも生化学である。小生はコーエンがノーベル賞を取った年に彼の研究室があるセントルイスのワシントン大学を訪れたことがあるが、この研究所の一階にはこの大学からノーベル賞を取った学者の写真がずらっと並んでいたのに感動した。

そして87年が利根川さんの発見である。こうしてみるといわゆる「分子生物学」がノーベル賞に関連するのはこの「利根川受賞」が皓歯となるといって間違いないな。なんせ利根川さんは制限酵素を自分で調整したといっていたし、ボイヤーから分けて貰った話もされていた。

なにか抜けてやいませんか・・・だ。80年代最高のノーベル賞は実は以上に挙げたテーマではない・・・というのが小生の意見。小生にとってマクリントックは別格である。やはり83年のマクリントックを越える大テーマはないだろうと思うのだ。最高にロマンティックな研究だよ、これは。動く遺伝子。すごい。進化の原動力・・・であろうと私は思う。

こうしてみると1980年代はすごいね。毎年毎年よくまあ素晴らしい研究が続々と受賞したものだよ。

2010年10月8日金曜日

ノーベル化学賞:よかったな!

ノーベル化学賞を二人の日本人研究者が受賞した。慶事である。この先生方は昭和30年前後に大学進学を志した学生である。最優秀の学生の多くは工学部に行っていた時代である。なかでも優秀な学生は応用化学に進んでいた側聞する。医学部にいく優秀な学生もいたのであろうが、そもそも医学部に行くことは特別のことでは全くなかったのだと思う。本当に人助けがしたい、であるとか、親のあとを継がなければいけない、であるとか、いろんな人間味あふれる理由で医学部に進むことが多かったので、成績がいいから行くなどという馬鹿げた風潮は全くなかったのだ。今は本来理学部や工学部に進むべき優秀な素質ある学生が医学部に吸い込まれ、紛れ込んでいるのは実にもったいない。

さて今回の受賞者であるが、実に研究者らしくていいなあ。decentだ。こういうdecencyは若者にダイレクトに伝わると思うな。だけど工学部に進む勇気が出ないんだろうな。工学部に行ってなにかおもしろいことがありそうな気がするなら行くだろうけど、ほとんどなにも伝わってこないからな。野依さんや白川さんと一緒に啓蒙活動が大事だと思うな。

長生きして感化感化感化そして感化!若者を感化!せよ!

卵巣明細胞癌で6割変異する遺伝子:サイエンスより

卵巣明細胞癌という癌は下に示すようにあまり予後の良くない癌らしい。(元来卵巣がんそのものの予後も不良なのだが)その明細胞癌の6割弱に変異が認められる遺伝子が見つかった。ARID1Aといってクロマチンのリモデリング関連遺伝子のようだ。6割とはは高頻度である。42例中24例で57%。ボーゲルシュタインのグループである。

Frequent Mutations of Chromatin Remodeling Gene ARID1A in Ovarian Clear Cell Carcinoma


Siân Jones,1 Tian-Li Wang,2 Ie-Ming Shih,3 Tsui-Lien Mao,4 Kentaro Nakayama,5 Richard Roden,3 Ruth Glas,6 Dennis Slamon,6 Luis A. Diaz, Jr.,1 Bert Vogelstein,1 Kenneth W. Kinzler,1,* Victor E. Velculescu,1,* Nickolas Papadopoulos1,*

Ovarian clear cell carcinoma (OCCC) is an aggressive human cancer that is generally resistant to therapy. To explore the genetic origin of OCCC, we determined the exomic sequences of eight tumors after immunoaffinity purification of cancer cells. Through comparative analyses of normal cells from the same patients, we identified four genes that were mutated in at least two tumors. PIK3CA, which encodes a subunit of phosphatidylinositol-3 kinase, and KRAS, which encodes a well-known oncoprotein, had previously been implicated in OCCC. The other two mutated genes were previously unknown to be involved in OCCC: PPP2R1A encodes a regulatory subunit of serine/threonine phosphatase 2, and ARID1A encodes adenine-thymine (AT)–rich interactive domain–containing protein 1A, which participates in chromatin remodeling. The nature and pattern of the mutations suggest that PPP2R1A functions as an oncogene and ARID1A as a tumor-suppressor gene. In a total of 42 OCCCs, 7% had mutations in PPP2R1A and 57% had mutations in ARID1A. These results suggest that aberrant chromatin remodeling contributes to the pathogenesis of OCCC.

Originally published in Science Express on 8 September 2010
Science 8 October 2010:
Vol. 330. no. 6001, pp. 228 - 231

大阪医療センターHPからのデータ

表層上皮性卵巣がんの組織型別の治療成績(1993-95)

組織型 臨床進行期
l期 ll期 lll期 lV期
例数 生存率 例数 生存率 例数 生存率 例数 生存率
漿液性腺がん 427 89.4 153 65.4 1188 32.7 254 18.5
粘液性腺がん 477 90.7 44 78.7 149 38.0 38 12.3
類内膜腺がん 228 87.0 82 69.1 208 37.6 46 24.6
明細胞腺がん 101 83.6 27 63.5 68 27.4 15 0
未分化腺がん 56 81.0 19 49.8 103 29.8 40 0

2010年10月6日水曜日

これまでの医学生理学賞を振り返る(2)

ピロリ・MRIは臨床だ。本当はこれが一番大事。だからiPS細胞には本当に頑張って貰いたい。最低でもテイラーメイド治療効果予想の体外診断キットくらいには商業化されてほしい早急に。体内に入れるには時期尚早でも体外in vivoなら良いではないか。速く早くである。

さて臨床とは直接交わらないが、この10年で小生が最も感動した受賞テーマは「
におい受容体および嗅覚系組織の発見」である。これには打ちのめされた。発見者のバックらの周辺では最近も論文取消等々生臭い話題が尽きないようだが、ヒトのような「高等に進化した」(これも括弧付きね)生物においても、いまなお1000個以上の嗅覚レセプターを作るゲノム遺伝子が存在しているという事実に驚いたということである。単なるにおいだけではない思った。これはより有利な生存のためのパートナー選択あるいはお好みのフェロモンに関連する道具立てなのだと思う。とにかく面白い。

あとの受賞はRNAiにしてもneurotransmitterにしてもパピローマ・AIDSにしてもES・Knockoutにしてもまあそんなものかなあという感想だ。「におい受容体および嗅覚系組織の発見」は利根川さんの「抗体の多様性生成の遺伝学的原理の解明」と同じ土俵なのだが利根川さんの発見と同じくらい衝撃的な数十年に一度の研究成果だと思う。利根川さんの研究の凄さは今ではよく理解されないかもしれない。簡単に言えば「生まれたあとでもゲノムは改変されますよ」という事象を初めて提言したこと。「不磨の大典と考えられていたヒトゲノムも個人間で随分違うようですよ」とサジェストしたこと。小さなことでは「スプライシングという事象があるのですよ」とエビデンス(電子顕微鏡写真だが)を見せてくれたこと。まあいろいろあるが、免疫をゲノムレベルで理解しようとした先駆けの研究だから、小生には全てが示唆に富む素晴らしい成果だったわけだ。

この10年はこれくらいにしょう。

これまでの医学生理学賞を振り返る

これまでの医学生理学賞を個人的に振り返ってみる。

まずこの10年。

1999-2008年度のノーベル医学生理学賞

1999年    タンパク質が細胞内での輸送と局在化を司る信号を内在していることの発見
2000年   神経系における情報伝達に関する発見
2001年    細胞周期における主要な制御因子の発見
2002年   「器官発生とプログラム細胞死の遺伝制御」に関する発見
2003年    核磁気共鳴画像法に関する発見
2004年   におい受容体および嗅覚系組織の発見
2005年   ヘリコバクター・ピロリ菌およびその胃炎や胃かいようにおける役割の発見
2006年   RNA干渉-二重鎖RNAによる遺伝子サイレンシング-の発見
2007年   胚性幹細胞を用いての、マウスへの特異的な遺伝子改変の導入のための諸発見
2008年  子宮頸癌を引き起こすヒトパピローマウイルスの発見・ヒト免疫不全ウイルスの発見



ベッドサイドに最も近いレベルの発見は「核磁気共鳴画像法(MRI)」と「ピロリ」である。MRI、これは消化器を主戦場とする小生には余り存在価値がないのだが、同時に整形外科も診なくてはいけない立場としては必須。背骨関係では絶大である。腰椎圧迫骨折で手術適応なんてとんでもない状況に追い込まれるかもしれないかのばあさまなど、MRI無しでは経過を追うのは不可能だ。

ピロリは実はこれは困っている。ピロリ除菌と保険診療の狭間で悩んでいるというのが現実だ。ほっておけば週に10人以上は該当者が現れる。今後どうなるのかね。今の「エビデンス」(括弧付きね、あくまでも)ではピロリ陽性者の胃癌発癌危険率は5.1倍だ。例えば下の文献はがんセンターの津金さんのグループ。n=123,576であり1990-2004のcase-control studyである。

  • Sasazuki S, Inoue M, Iwasaki M, et al.: Effect of Helicobacter pylori infection combined with CagA and pepsinogen status on gastric cancer development among Japanese men and women: a nested case-control study. Cancer Epidemiol Biomarkers Prev;15:1341-1347,2006
しかしさ。該当者の年齢ではほぼ70%近くが陽性なんてこともあるピロリを除菌すると2つの問題点が生じる。

(1)  一つはよく言われる医療費である。下の表はピロリ除菌に熱心な北大の除菌外来(チーフは教授の浅香正博さん)の料金。これは自由診療である。

区分 料金 備考
1.検査料 内視鏡検査の場合 27,405円 検査のみで終わる方
尿素呼気試験の場合 15,330円
2.検査除菌料 内視鏡検査(初回実施)の場合 40,845円 検査でピロリ菌陽性となり、除菌治療を行い、除菌の成否を確認する方
内視鏡検査(2回目に実施の場合) 46,830円
尿素呼気試験の場合 28,770円
3.除菌料 初回治療で除菌されず2次除菌をする場合及び3次除菌をする場合 13,440円 初回治療で除菌されず、2回目以降の除菌治療を希望する方

おそらくこれを厳密に履行している診療所はいないだろう。自由診療にはリスクが伴う。 IC(Informed consent)が不可欠だが、こんなもの取りながら通常外来はできんぞ。浅香さんに頑張ってもらい、保険診療になると楽である。

(2)    といいながら、重大な懸念もある。50歳以上だと平均すると50%以上は陽性となるピロリに根こそぎ除菌を行うというのは、壮大な人類にとって経験のない実験でもある。胃癌の発生をどれだけ抑えることができるのだろう?抑えることと引き替えに私たちが被る惨禍はないのか?  高齢者はおそらく対象にならんだろう。中高年が対象になる。その人達の腸内フローラは一時的に激変する。これは確実だ。小生はこれが将来のあらたな疾病に結びつくような気がしてならない。これを単なる予想・懸念で終わらせないために誰かが実験で理論武装してくらないと困る。少なくとも予備実験で腸内フローラとメタゲノムくらいはやって欲しい(理論武装の第一歩として)


話が狭隘化した。ノーベル賞だった、始まりは。まあいいか・・・・。

2010年10月5日火曜日

バチカンが批判 ノーベル医学生理学賞

昨日法王庁も何も言えなくなると書いた矢先、バチカンから今回のノーベル賞に批判が出たようだ。やはり筋は通すね、あの組織は。

バチカンが批判 ノーベル医学生理学賞 【4】

2010年10月5日 提供:共同通信社

 【ローマ共同】世界初の体外受精児を誕生させたロバート・エドワーズ英ケンブリッジ大名誉教授へのノーベル医学生理学 賞授与が決まったことに対し、ローマ法王庁(バチカン)で生命倫理問題を担当する生命アカデミーのコロンボ委員は4日、「深刻な道徳的疑問を引き起こす」 と批判した。ANSA通信が伝えた。

 委員は、名誉教授の研究について「重要な科学的業績で、体外受精を通じてたくさんの子供が生まれた」と評価しながらも「子宮に戻されなかったことなどから、胚(はい)(受精卵)の段階で失われた多くの人の命を忘れることはできない」と指摘した。

 妊娠中絶に反対するバチカンは受精卵の段階で人間とみなしており、いくつもの受精卵から最適なものだけを選び子宮に戻す一方、残りを捨ててしまう体外受精にも反対している。

2010年10月4日月曜日

今年のノーベル医学生理学賞は試験管べービーの先生

今年のノーベル賞はエドワーズ博士であった。ルイーズちゃん試験管べービーから早32年たつのだと知らされ感慨深い。小生が医学部の4年生だった頃の話だから、印象深いはずなのだが、あの頃の時代の風は違っていた。確かな記憶とは言い難いが、「強烈な違和感」であったことは覚えている。医学部の先生方や産婦人科の教授はアンチ試験管べービーだった。「オレの目の黒いうちはそんなことはさせない。「少なくともこの大学では決して許さない」  産婦人科の少壮教授の鼻息はすさまじかった。明らかに敵意を抱いていた。そんな雰囲気の中で教育を受けた私たち、試験管べービーには随分保守的だったと思う。今ネット情報によると体外受精による出産べービーは400万人に上るのだとか。ここまでくるとキリスト教原理主義者もローマ法王庁も誰も何も言えなくなる。もちろん今や、かの教授も退官されたが、このノーベル賞へのコメントをお聞きしたいものだ。

下は現存する100人の天才達というリストである(去年の6月に紹介)。26番目にエドワード博士もリストされている。

1=
Albert Hoffman
(Swiss)
Chemist
27
1=
Tim Berners-Lee
(British)
Computer Scientist
27
3
George Soros
(American)
Investor & Philanthropist
25
4
Matt Groening
(American)
Satirist & Animator
24
5=
Nelson Mandela
(South African)
Politician & Diplomat
23
5=
Frederick Sanger
(British)
Chemist
23
7=
Dario Fo
(Italian)
Writer & Dramatist
22
7=
Steven Hawking
(British)
Physicist
22
9=
Oscar Niemeyer
(Brazilian)
Architect
21
9=
Philip Glass
(American)
Composer
21
9=
Grigory Perelman
(Russian)
Mathematician
21
12=
Andrew Wiles
(British)
Mathematician
20
12=
Li Hongzhi
(Chinese)
Spiritual Leader
20
12=
Ali Javan
(Iranian)
Engineer
20
15=
Brian Eno
(British)
Composer
19
15=
Damian Hirst
(British)
Artist
19
15=
Daniel Tammet
(British)
Savant & Linguist
19
18
Nicholson Baker
(American
Writer
18
19
Daniel Barenboim
(N/A)
Musician
17
20=
Robert Crumb
(American)
Artist
16
20=
Richard Dawkins
(British)
Biologist and philosopher
16
20=
Larry Page & Sergey Brin
(American)
Publishers
16
20=
Rupert Murdoch
(American)
Publisher
16
20=
Geoffrey Hill
(British)
Poet
16
25
Garry Kasparov
(Russian)
Chess Player
15
26=
The Dalai Lama
(Tibetan)
Spiritual Leader
14
26=
Steven Spielberg
(American)
Film maker
14
26=
Hiroshi Ishiguro
(Japanese)
Roboticist
14
26=
Robert Edwards
(British)
Pioneer of IVF treatment
14
26=
Seamus Heaney
(Irish)
Poet
14

ノーベル賞は昨年は夕方6時半頃発表・・・

637:名無しゲノムのクローンさん:2009/10/05(月) 18:31:04
発表者まだこないな
639:名無しゲノムのクローンさん:2009/10/05(月) 18:31:41
はじまったーー
640:名無しゲノムのクローンさん:2009/10/05(月) 18:32:06
速報テロップ「リボザイムの研究で、タイラ氏受賞!」
641:名無しゲノムのクローンさん:2009/10/05(月) 18:32:16
いよいよだ
642:名無しゲノムのクローンさん:2009/10/05(月) 18:32:44
エリザベス
643:名無しゲノムのクローンさん:2009/10/05(月) 18:32:59
テロメラーゼ!
644:名無しゲノムのクローンさん:2009/10/05(月) 18:33:22
The Nobel Prize in Physiology or Medicine goes to Elizabeth H. Blackburn, Carol W. Greider and Jack W. Szostak
"for the discovery of how chromosomes are protected by telomeres and the enzyme telomerase".
645:名無しゲノムのクローンさん:2009/10/05(月) 18:33:46
Elizabeth H. Blackburn, Carol W. Greider and Jack W. Szostak receive Nobel Prize in Physiology or Medicine.
647:名無しゲノムのクローンさん:2009/10/05(月) 18:34:11
テロメラーゼだ!!テロメラーゼが来たか・・・。

2010年10月2日土曜日

軟性コルセットと硬性コルセット

コルセットを付けると腹圧が上昇するため腹壁が強化され腰への負担が軽くなります。
コルセットは腰椎を主とした腰部全体の支持を目的としています。

・軟性コルセット
一般的に広く使われています。弾力性のある素材で日常生活に支障のないコルセットです
(ぎっくり腰、痛みの強い腰痛、椎間板ヘルニアなどに使用)




・硬性コルセット
外科治療用に使用されます。セルロイドやプラスチック、金属などの素材で日常生活の動作をかなり制限する硬性コルセット
(圧迫骨折、化膿性脊髄炎、脊椎カリエス、手術後の腰椎固定などに使用)

腰椎圧迫骨折で手術を行うのはどんなときか?

困っているのだ。腰椎圧迫骨折で約一ヶ月入院後退院間近の方が突然立てなくなった。ベッド上では両下肢自発挙上可能。しかし先週まで歩いていたのに、今では歩行不能だ。まるでミステリーならぬヒステリーのようだが、実際Xpでは後方破壊が進んでいる。MRIでも圧迫が見られるようだ。馬尾障害はないようだ。

整形ドクター:「様子は見れそうだが、場合によってはオペがある」私の予想:オペになりそう。

本人と家族に充分説明しとかなくてはいかない。困ったのは絶安を言い渡されたこと。食事も上身体挙上はならぬと・・・。

困ったぞ。 

参考ページ

圧迫骨折で手術を行うのはどんなときか。

 腰椎圧迫骨折は通常、手術を行いません。しかし、次のような場合には手術をした方が、 日常生活における支障が少なくなることが多いです。

  1.  骨折部分が後ろに飛び出して神経を圧迫すると、徐々に下肢麻痺・膀胱直腸障害を  きたすことがある(圧迫骨折後遅発性麻痺)。この場合は、神経の圧迫を除く手術 (除圧術)を行う

  2. 偽関節を生じて腰痛が強い場合、骨セメントを骨折部に注入して安定化させる手術 (椎体形成術を行うことがある。また、圧迫骨折初期に離床までの期間を短縮するために、同様の手術を行う場合もある。ただし、これが効果なしとする報告もあるので治療を受けようとする人は慎重に。


 椎体形成術は、レントゲン透視下で行うので放射線科で行われることが多いようです。しかし、 整形外科と放射線科の見方はちょっと異なっています。整形外科では手術の見栄えよりも生活に どれだけ障害になっているかということに重きを置くので、放射線科に比べて手術する症例を 選別しているようです。また、椎体の固定に関しても骨セメントによる合併症を防ぐために、 人工骨を使用している場合も多いです。どちらが良いとここでは言明を避けますが、この治療を 受けるためには、違う科でセカンドオピニオンを受けたほうが良いと思います。

2010年10月1日金曜日

2010年度のノーベル医学生理学賞:ヒトゲノムと予想したい

2010年度のノーベル医学生理学賞は10月4日発表だという。今年は誰が受賞するのだろうか?


1989−1998年度におけるノーベル医学生理学賞

1989年    ガン遺伝子のレトロウイルスが細胞起源であることの発見
1990年     ヒトの疾患治療における臓器および細胞移植に関する発見
1991年    細胞における単独のイオンチャネルの機能に関する発見
1992年    生体制御機構としての可逆的タンパク質リン酸化の発見
1993年     分断された遺伝子の発見
1994年    Gタンパク質およびそれらの細胞内情報伝達における役割の発見
1995年    初期胚発生における遺伝的制御に関する発見
1996年    細胞性免疫防御の特異性に関する研究
1997年    プリオン - 感染症の新たな生物学的原理 - の発見
1998年    循環器系における情報伝達物質としての一酸化窒素に関する発見

1999-2008年度のノーベル医学生理学賞

1999年    タンパク質が細胞内での輸送と局在化を司る信号を内在していることの発見
2000年   神経系における情報伝達に関する発見
2001年    細胞周期における主要な制御因子の発見
2002年   「器官発生とプログラム細胞死の遺伝制御」に関する発見
2003年    核磁気共鳴画像法に関する発見
2004年   におい受容体および嗅覚系組織の発見
2005年   ヘリコバクター・ピロリ菌およびその胃炎や胃かいようにおける役割の発見
2006年   RNA干渉-二重鎖RNAによる遺伝子サイレンシング-の発見
2007年   胚性幹細胞を用いての、マウスへの特異的な遺伝子改変の導入のための諸発見
2008年  子宮頸癌を引き起こすヒトパピローマウイルスの発見・ヒト免疫不全ウイルスの発見


これはノーベル医学生理学賞受賞で対象となった「研究内容」の題目である。直ぐにわかる内容も多い(例えばMRIの発見、ピロリやパピローマ、AIDSウイルス)。一方、なかなかわかりづらい題目もあって、99年の「タンパク質が細胞内での輸送と局在化を司る信号を内在していることの発見」などは、今の時点で「これ誰のどういう研究だったんだろう?」とボクなどは思ってしまう。

今年も10月が近づいてきたが、2009年度の医学生理学賞はいったいどなたのどんな研究に与えられるのだろう?過去の受賞歴を振り返りながら、予想してみるのも面白いかもしれない。

と去年はいいながら予想はできなかった。そして実際には

「テロメアテロメラーゼ酵素染色体を保護する機序の発見」
なる受賞だった訳だ。

今年はそろそろベンターにあげなさいよといいたい。ヒトゲノムプロジェクトで一人目がベンターであとはフランシスコリンズでもどなたでも良い。ベンター以外は大もめにもめるだろうな。アメリカ一人。イギリス一人。

ラスカーを山中先生は受賞しているが、iPSはまだまだ受賞には早い。この段階でノーベル財団が賞を出す訳がないではないか!ボクはiPSには多いに期待しているし、臨床応用をいち早く待ち望むものであるが、ノーベル賞は臨床応用されて有益であったことがわかってからでもいいではないか・・・と思う。第一受賞しても山中さんコメントが出来ないでしょう、今の段階では。